動物には権利を巡って論争がある。動物には権利は一切ないとの立場もあれば、人間と同じ権利を持つとの主張もある。動物の権利は人間の権利より重要であると強調する人さえいるが、確かに少数派である。
問題を簡単に描けば、下記の通りだ。
人間の日常生活で、動物に大きな被害を与える。肉食のために動物を殺す。そして、殺す前に苦しませる環境で育てることは多い。農業の直接の被害にとどまらない。作物を守るために、ネズミなどの動物を殺す。そして、人間が繁茂すると、他の動物の居場所がなくなるので、生活はできなくなる。動物の種類を絶滅させるほどの行動がある。
だから、動物には権利があれば、現在の人間の文明は悪徳で、許す事のできない行為だ。ナチスドイツの行為よりさらに悪徳だ。そのような文明の一員にいたくないと思うので、重要な問題だ。もちろん、動物には人間のような権利はないと、動物を人間の便宜のために殺しても問題はない。
しかし、動物には権利があるかどうかは、どうやって決めれば良いのか。
過去の権利についての考え方を顧みれば、百年ぐらい前には女性には男性と同様な権利はないとは広く思われた。サウジアラビアなどの国では、現在でも同じだ。200年前のアメリカでは、奴隷制があったので、黒人には白人と同じ権利はないと堂々と強調した。世界中、類似する実例は簡単に見つけられる。この問題の解決は、いよいよ人間のすべてには同じ権利があることに落ち着きつつあると言えるだろう。動物の権利を強調する人はよく人間の権利の歴史を挙げて、権利の範囲がどんどん広げたことを指摘して、これから動物まで広げることを言う。説得力はなくはない。百年前の人には、女性の権利には制限があるのは当たり前だったので、今動物には人間並みの権利はないことを当たり前と考えても、私たちも許せない誤りを犯している可能性もある。
一方、動物の場合、深刻な問題がある。
人間の権利の最低限は、殺されない権利であると言えよう。だから、動物の権利は人間の権利ほど及ばなくても、少なくとも殺されない権利があるので、肉食などは禁じるべきである。こう信じる人は少なくない。
ここにある深刻な問題は「虎問題」と言えよう。虎は、他の動物を殺して食べて生きている。動物には殺されない権利があれば、虎によって殺されない権利もある。もちろん、虎に他の動物を殺す事を禁じたら、虎は死ぬ。人間は虎を死なせるわけにはいかないので、それもダメだ。
この問題を解決するために、「人間によって殺されない権利だ。他の動物は自然のままなら良い」ということだ。しかし、これは通れない。動物に権利がある根拠は、動物は基本的に人間と同じである主張だ。人間に特別な殺さない義務があれば、人間は動物と同じではない。人間は特別な義務が生じるほど動物と異なれば、特別な権利が生じるほど違うはずだ。権利と義務は表裏の関係であるからだ。
つまり、すべての動物には権利があれば、その権利を尊重することは無理だ。現実的ではないことではなく、論理的に矛盾する。鹿の権利を尊重するために、虎の権利を侵さなければならない。虎の権利を尊重するために、鹿の権利を侵さなければならない。
さらに問題がある。権利があると見做された存在は、王様からすべての人間まで広がったが、さらに動物に広げようとしている。では、動物でどこで止めるだろう。昆虫には権利はあるのか?そして、植物はどう?植物も生き物だ。生き物を特別視することも偏見だろう。石も権利を持っているのではないか。石に精霊が宿ると信じる人は少なくないし。石に権利があるなら、分子はどう?
息を吸って、酸素の分子を二つの原子に残酷に分裂させる事は、権利を侵す行為なのではないか。
私は、酸素の分子には権利があるとは思えないが、どこで一線を画すかは極めて難しい問題であると認めなければならない。
この問題があるからと言って、何もしなくても良いとは限らない。では、どうするべきなのか。次の投稿で考えたいと思う。