情報収集とプライバシー

世界中の国家は、情報を収集する。最近、アメリカがドイツのメルケル首相の携帯電話の会話を盗み聞きしたことがNSAの広範囲の情報収集の問題を代表した。このスキャンダルに対して、改善策としてNSAの情報収集を制限しようとする動きがあったが、もちろん反発もあった。

この投稿で、もう少し根本的な立場から見たいと思う。人には、原則としてプライバシーの権利があると言えよう。プライバシーというのは、他人に追われ、生活についての情報を集められることはない状態であるだろう。定義は難しいが、見られていないと思える状態で、本当に見られていないことだ。これは、自分の人生を計画する基礎権利の一つの側面である。何かの行動を隠そうとすれば、適切な手法をとれば隠せるのは良い。

このプライバシーは絶対的な権利ではない。見られないような対策が足りなくて見られたら、訴えることはできないからだ。しかし、狙われない状態は保障されていると言える。つまり、周りを見たら誰もいなかったら、誰も見られないと思えるので、望遠鏡でわざと見られたら問題がある。一方、公道を歩いたら、プライバシーの期待はないので、人に見られたら予想の通りだが、ある人が追いついてすべての行動を監視すれば、それは良くない。街角で写真が撮られたら、町を歩いている人の顔が写っても問題はないが、一人を特定してアップした写真をすれば、それは問題であると言おう。もちろん、見る許可を与えることはできる。モデルなどは仕事のためにそうすることは多い。

では、情報収集でこの原則はどう働くだろう。先ずは、犯罪を企ている疑惑がある人に対する、この原則の免除がある。裁判に行って、対象となる人を特定して、情報収集の目的を説明して、そして疑惑の根拠を説明すれば、裁判官の許可を求める。得られれば、プライバシーを侵しても良い。これも、他の人の自由を守るために人の自由を制限する原則の一つの側面だ。ただし、根拠の水準を厳しくするべきだと思う。警察などの調査対象にされるためには、逮捕するほどの根拠は必要ないが、それに近いと思う。簡単に許可を得れば、無許可でできる状態と近づくためだ。

それでも、明らかに許されないのは、不特定多数の人を監視する行動だ。

その上、これは倫理的な権利である。法律上発生した権利ではない。だから、自国の国民だけではなく、他国の国民に対しても有効である。つまり、外国での情報収集も制限する。

要するに、特別な疑惑はない限り、人の町中での動きや見る許可を得た行動をのみ見るべきである。この制限は確かにテロ防止やスパイ防止の行動を難しくするが、無理にしないと思う。方法についてちょっと論じたいと思う。


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