プライバシーを尊重するスパイ

確かにタイトルには矛盾がある。プライバシーを尊重すると、スパイとのレッテルを貼付けられないだろう。だが「プライバシーを尊重する情報収集」はつまらない。趣旨は、プライバシーを尊重すれば、どれほど情報収集はできるか、ということだ。

私は、公開された情報のみを分析すれば、分かる事は多いと思う。特に国内で匿名の調査で集めたデータから重要な事実は把握できるが、個人情報を追究すれば、その大きな傾向を見逃す。

ここで、二つの考え方が揉み合うかもしれない。一つは、社会に起きる重要な出来事は、個人の意志から発生するので、その個人的な意志を把握しないと、社会の推移も把握しない。テロ事件は個人の悪気から発生するので、その個人を見つけて身柄を確保しなければならない、との感覚だ。一方、社会の重要な現象は、社会全体の構成から発生するという立場もある。この立場から、個人についての情報は迷惑になる。個人の行動に捉えられ、社会全体の推移を洞察できなくなる。

話を作るところ、前者は圧倒的に良い。主人公が敵を追究して、そしてクライマックスで直面して問題を解決するパターンは、楽しい物語になる。一方、人がオフィスで統計データを分析して、結果の数値に基づいて行政の施策を調整することは、話にならない。(このような事をテーマとする漫画が存在すると思うが、それは何のテーマでも漫画が存在するからだ。それにしても、ラブコメなどを加えるはずだ。それとも、統計天才少女が紛らわしい問題をすらりと解決するとか、統計師の幽霊が問題解決に携わるとか。)だから、想像すると、個人の場合が浮かび上がる。

それでも、社会の一般的な推移を把握した方が重要だと思う。これは国内の治安を保つためでも、国際的な安全保障のためでも変わらない。理由は、下記の通りだ。

個人は一人一人異なる。そして、人を良くしっていると思っても、意外な行動をとることもある。インターネットの利用歴からびっくりするほど描写できるのは事実だが、それは確率の話だから、警察が動くための根拠にはならない。個人の行動は予想できないと思った方が良い。だから、警察にどれほど人材や権限を与えても、すべての問題行動を抑制できるはずはない。

一方、社会の一般的な推移が行動の確率を左右する。極端な例だが、アメリカで銃を持つのは合法的だから、アメリカにある銃丁数は総合人口に匹敵する。ウィキペディアによると、100人には97丁だそうだ。それと比べたら、日本には1000人には6丁があるという。射殺された人はアメリカで毎日のことだが、日本では珍しい。この差をつけるために、日本の警察には誰もを調べる権利は不要だ。

つまり、情報収集で統計的で一般的なデータで問題になりそうな環境を把握して、環境の改善に努めるべきだ。すべての事件を防ぐことはできないが、環境を整備することで、より効果的に抑制できると思う。少なくとも、このプライバシーの権利を尊重する手法を試すべきなのではないか。


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