もう一つの経験を広げるためのこつは制限だ。この方針には矛盾は感じられるだろうが、効果があると思う。
条件は二つある。一つは、制限は臨時的であること。一年間程度は良いだろう。もう一つは、制限が今までの経験の大半を除外することだ。
このようにやることを制限したら、止めない限り新しい経験と会うはずだ。今までの好みの通りに選んだ作品の大半は除外されているので、別な分野に入らなければならない。しかし、制限に従う限り、何でも良いので、見たくないことを見る必要もない。
例えば、SFは好きであれば、一年間女性作家の作品しか読まないことにするのは一つの例だ。最近、女性作家は増えつつあるが、二十年ぐらい前までは、圧倒的に男性だったし、今でも男性は過半数を占めるかと思う。だから、何気なくSFを読んだら、男性作家は圧倒的に多くなる。女性作家に制限されたら、普段は読まない本を探して、読むことになるので、経験が広がる。
それとも、別な惑星を舞台とする本は大好きであれば、地球のみを舞台とするSFに制限できる。
本などの場合、一般に使える制限は「今まで読んだことのない作家」である。もちろん、新しい作家が好きになったら、その一年間で数冊読んでも良いだろうが、少なくとも毎月新しい作家を一人読むことにすると良いと思う。映画などなら、携わる人は多いので、もう少し難しくなるが、監督が違うとか、主演の俳優が違うなどの基準でできるだろう。この方針で、好きなジャンルのままで楽しめるが、新しい経験ができる。
もちろん、この制限を緩和できる。例えば、新しい作家だけより、毎月少なくとも新しい作家を一人読む基準など。
この方針が一番働く形は、背景にある文化が違う場合だ。男性の作家は多ければ、女性の作家のみにするのはその例の一つだ。殆どの社会で男性の体験は女性の体験と大きく違うので、女性の立場から見られた社会が異なる。他の例はより明確である。例えば、翻訳された本だけを読むこととか、アメリカ映画以外の映画だけを見るとか、まだ行ったことはない国にだけ行くなど。例えば、仏教のお寺を観察するのは大好きであれば、別の国のお寺を見ることは、別な文化の紹介になる。日本と韓国のお寺を多く見たことがあれば、タイやチベットのお寺を見ると、仏教の違う種類を見る。(確かに、神社を観察するのは趣味であれば、この方針はちょっと難しい。)
このような制限が一年間続けば、より広い範囲で体験する機会があるが、元の範囲を含む興味の範囲に戻る余裕もある。
私は、今のところこのような方針を使っていないが、生活の形がまた落ち着いたら導入したいと思う。具体的な制限はまだ考えているけれども。