母国から異国へ移住すれば、何の義務があるのだろう?
移住先の文化に溶け込む義務があると私は思う。
その基本の基本は、移住先の国の共通語を学ぶことだ。川崎市外国人市民代表者会議の経験で実感したことは、多言語に資料などを翻訳するには、大変な費用が必要であることだし、通訳を提供することはさらに難しい。任意で移住したら、受け入れた国に母国語での対応を期待するのは理不尽である。だから、その国の共通語を学ぶべきだ。
しかし、この義務は、自分の利益にもなる。共通語が分からないと、活動の範囲は非常に限られてしまう。自分で移動することさえ難しくなる。行政が仮に母国語で対応してくれるとしても、民間の企業がそうするはずはない。だから、契約などを結ぶ場合、問題が発生することは多い。近隣の人で友達を作ることも難しくなるし、必要な情報を得ることも大変だ。
だから、外国へ移住すれば、現地の共通語を学べと述べたいのだ。
その上、文化に溶け込むというのは、現地の食べ物を食べたり、現地の服装を着たり、現地の祭りなどに参加したり、現地の人を触れ合うことを指す。自分の文化を否定する意味ではない。むしろ、自分の文化を提供して、周りの文化をより豊かにすることも良い。新鮮な立場からの評価や意見で、伝統が長い文化を活気させることもある。
こういえると思うが、重要な条件がある。
まず、言語以外の必要不可欠な点は存在しないと思う。そして、共通語は複数あれば、その一つを学んでも良い。現地の服装に強い違和感があれば、母国の服装のままにしても良い。ただし、その場合現地の食べ物や祭りは重要だ。つまり、現地の文化から複数の物を選ばなければならないが、選ばなければならない特定された物は存在しない。
そして、この義務は、自分の意志で移住した渡来人にしか当てない。その国で生まれた人や子供で親に無理矢理連れられてきた人は該当しない。まさにその国の国民にはこのような義務はない。この義務は、その国に住み着く選択から発生するからだ。選択していなかったら、義務もない。だから、難民にも義務はない場合はある。移住は強いられたら、選択はないので、義務もない。私のように自由に移住した人は主な対象者になる。
最後に、義務といえども、強制的にさせるべきではない。批判してもかまいませんが、強引なさせ方は良くない。人には自分の事情があるので、この義務は果たせないこともある。例えば、言語力はなくて、共通語を学ぼうとしても、頑張っても、なかなか身につけられない人もいる。このような人に共通語の基準を強いられたら、ただストレスの原因となって、問題を発生させる。それに、慈悲で言語もできない人を助けようとするべきだ。ただし、渡来人にはこのような義務があるため、この義務を果たさない渡来人に対応する必要はない。
移住するように決めたら、行き先の国が自分のために特別に対応することを期待するべきではない。自分から努力して、移住を成功させるべきだ。