お金の奉納、時間の奉納

神社に参拝すると、お金を奉納した人の記念碑をよく見る。石碑が建てられるために数百万円は必要となる場合は多いが、一万円以上を再建などに奉納すれば記念されることもあるし、臨時的に名前が貼られるために祭りのために数千円でも良い。

しかし、お金の奉納は唯一の奉納ではない。もう一つは時間の奉納だ。例えば、境内の掃除をしたり、祭りの準備に携わったりすること。これも重要だが、記念されることは少ないような気がする。

一つ例外になるのは、神社本庁の顕彰だ。顕彰を受ける基準の一つは500万円を奉納することだが、それは最下位の顕彰に限られるし、報道される顕彰される人は皆長らく時間を奉納した方である。例えば、神社の総代として数十年奉仕した方や崇敬者として長年怠らずに祭りに参列した方、そして祭りの芸能の保存や継承に努力した方。それでも、神社毎にそのような奉仕を顕彰することは少ない。

一つの理由は、経費だろう。数百万円が奉納されれば、その一部を記念する石碑に使用してもかまわないし、瑞垣の建設であれば、名前を刻むことは経費の一部だ。しかし、境内の掃除に努める人は、石碑を建てるための経費を供えないし、適切な場所もすぐに思い浮かばない。

それでも、両方の奉納をちゃんと顕彰した方が良いと思う。先ず、両方は重要である。お金はないと、神社が存続できないのは明らかだが、時間の奉納はないと、神職だけで環境維持できるはずはない。祭りも台無しになる。神社の維持と尊厳に貢献する人を顕彰するべきだ。そして、人によって奉納できる方法が異なる。仕事は忙しい人は、お金しか奉納できないだろう。一方、暇は多い人には、余っているお金はないことは多い。少なくとも、百万円以上の余裕はない。一方を軽視しては行けない。

お金を奉納する方を顕彰する方法はもうあるので、問題はないだろう。ただし、一気に高額を奉納する方だけではなく、持続的に低額毎に奉納する方も顕彰した方が良いと思う。このような奉納は、時間の奉納と一緒に考えれば良いだろう。

時間の奉納の顕彰は、石碑などの境内で永遠まで残る形は良い。だから、富岡八幡宮での大相撲と関連する石碑からヒントをとりたい。富岡八幡宮では、歴代の横綱の名前が刻まれた石碑がある。同じように、大きく時間を奉納した方の名前を刻む石碑を普通の神社にも設けたら良いのではないか。

奉納の段階を認めたかったら、石碑を複数にしたら良い。例えば、七年間の日参りをした崇敬者や三年間の掃除への貢献、それとも五年間の祭りへの奉仕などを一つの基準にして、そして十年以上神社の経営や管理に密接関われば、その上の段階になる。一番上の段階は、十年に一名程度加わる基準は良いだろう。

具体的な方法には拘らないが、この問題について意識して取組んだほうが良い。神道界はもう氏子や崇敬者の支援はないと存続できないので、感謝を表すべきだと思う。


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