色欲の的

社会では一般的に「異性愛者」や「同性愛者」と言うが、それはどういう意味だろう。もちろん、「同性愛」は昔は「男色」と言われたことを指せるが、それはどこから発生するだろう。過去には、男性とも女性とも性交した人は少なくなかったそうだが、今も同じであると言われる。ここで披露する考えには証拠は全くないので、ただ私の仮説にすぎない。

色欲を興す要素は人によって異なるのは周知の通り。下品に言えば、巨乳好きも男も、貧乳好きの男も存在する。しかし、この双方は異性愛者である。男にはおっぱいはない。そして、色欲を抑える要素もある。太った人を嫌う人もいる。しかし、これも人によって違う。太った人を好む人も存在する。その上、色欲と関係しない要素もある。多くの場合、目色はそうだ。この否めない現象は仮説の柱の一つだ。

そして、人間が大人になったら、性別によって発生する要素がある。男性は、声が低くなるし、体に毛が生えるし、髭も生える。女性は、胸が発達するし、腰の形が変わるし、声が高いままにする。

では、これで仮説を説明できる。男性で、男性の特徴が色欲を抑え、女性の特徴が色欲を興せば、異性愛者だ。逆に、男性の特徴が色欲を興し、女性の特徴が色欲を抑えれば、同性愛者。女性は逆だ。

しかし、他の場合を考えなければならない。男性の特徴も女性の特徴も色欲を興せば、いわゆるバイセクシュアルだ。男性で、女性の特徴が色欲を興すが、男性の特徴は特に抑えない場合、だいたい女性と結ぶのは当たり前だが、男性と性交することもあるだろう。色欲は、体だけではなく性格によっても湧いてくるので、体の特徴によって抑えられなかったら、咲く可能性がある。

そして、複雑な入り会いも想像できる。例えば、男性で体の毛によって色欲は抑えられるが、低い声は問題ないとしよう。女性にも足などを剃ることを求めるだろうが、体を剃る男性でも色欲の対象になり得る。逆に、体の毛が色欲を興す女性で、おっぱいは特に抑えないなら、剃らない女性と結びつくことは想像できる。毛のないすらすら肌にしか拘らない男性は、実際に女性を憧れることは多いだろうが、特に「異性愛者」とは言えない。なぜなら、男性が剃れば、憧れてしまうからだ。

この考え方のほうが自由を保つのではないかと思う。「私は、この要素が良い。普段、女性に見つかるし、男性にはないが、例外的に逆であれば、当然男性を好む」と思えば、他の人に同じような行動を見ても軽蔑しない。人を枠に嵌め込む必要性が減るが、それはいつも歓迎することだと思う。