過疎化の原因

過疎化で現れた「限界集落」が話題になっている。その定義は、人口の過半数は65歳以上である集落だというが、そのような人口構造を持つ集落には限度があるのは明らかだ。田舎の集落や自治体を救う手法を探る人は少なくないし、神社本庁は特にその集落の神社の行方を心配するようだ。

集落を本当の意味で救うために、持続可能な支援は必要だ。その上、集落自体が自力で持続することは必要不可欠だ。外からの援助が必要であれば、いつか絶えるはずだし、集落は本当の意味で救われていない。むしろ、現代に合わない昔の形を無理矢理維持することにしている証拠だ。どこの国の過去でも、見れば分かるが居住の形が時代とともに変遷してきた。日本も例外ではないし、現代も例外ではない。

田舎の集落の状況を考えれば、変わったことは見える。先ず、農業も漁業も大きく変わってきた。必要な人でが激減したし、日本の農業の競争力を高めるために政府がこの傾向を促そうとしているようだ。機会を使って、百年前に20人が必要だった仕事は、現在一人で済ませる。人間にとっては良いことだが、農村から見れば、集落を囲む田圃や畑には、集落の人口を雇用するための需要はなくなる。つまり、農業や漁業が山村や漁村の経済的な基盤になれなくなってきた。

同じように、現在の職業のほとんどは、村落では設立できない。必要な人数は多いが、誰でも良いというわけではない。だから、社員を選ぶ人口は、必要な社員の数倍になる。その場合、交通機関は便利であるところに設ける敷かないので、町になる。オフィスや工場は殆どそうだ。

そして、市民が必要とする施設が多様化して、増えた。学校を始め、病院、郵便局、銀行、店舗の生活に必要なことは多い。昔の村には、そのような施設はなかった。現実的に、小さな村落にはそのような施設をすべて設けることはできない。村の田圃で働かなければならない時代、村に住んで、町へ往復することは合理的な生活パターンだったが、それはもう変わった。職業も、村落ではなく、町にあるので、町に移住して、施設の近くに住んだほうが合理的になった。子供を田舎に遊ばせるために小さな旅をしても良いし。

だから、過疎化は基本的に現在の社会形式の結果であると言えると思う。行政の政策で農業には多くの人が必要となることはない。そうすれば、競争力を一切失うので、維持できなくなる。百年前の山村は、現在に相応しくないと言えるのではないか。そうであれば、その形で維持しようとしても、無駄だ。

そう言っても、過疎化と過密化は問題であるのは事実だ。百年前の山村が消えることを認めても、日本の人口の九割が首都圏、阪神、京都に住み着くことを防いだ方が良いのは明らかだ。そのためにどうすればよいかは、これから考えたいと思う。


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