『神社新報』を読めば、神宮大麻についてよく読む。神社本庁が神宮大麻を中枢の存在として掲げるからだ。
ただし、それが微妙に変わりつつあるのではないかと思う。新しく定めた強化実践目標として「氏子意識の啓発と家庭の祭りの振興を目指して」とあるが、この目標には神宮大麻はもちろん、神宮さえ明記されていない。(詳細の目標にはもちろん明記されているそうだ。)そして、神宮大麻の頒布体数を増やす計画としてこれからの「三カ年継続都市頒布向上計画」の全文で「神宮への奉賛へ、氏神信仰と家庭祭祀が基盤であり、神宮・神社と氏子崇敬者を結ぶことこそが、神道教化の原点である」と書いてある。
つまり、優先順位を考えれば、氏神信仰と家庭祭祀を一番として、神宮奉賛をその結果としているようだ。これは重要な変更であると言えよう。直接的に神宮大麻の頒布体数を増やそうとしたら、受け取る理由を挙げなければならない。「日本人だから、当然だ」という理由で神社本庁が進もうとしたような気がするが、それはもはや効かないのは明らかだろう。神宮大麻を奉斎するのは当然ではないと思う人は過半数を占めるので、そのような人には「本当に当然だ」と強調しても、説得力は一切ない。そして、神社本庁は原則として超自然的な効力を称えないので、そのような促進もできない。
一方、氏神神社との関係を築く理由はすぐに挙げられる。地域社会の絆や伝統行事の重要性、楽しい祭りへの参加、通過儀礼の斎行などのすぐに説明できる魅力的な側面があるからだ。そして、家族祭祀は家族の絆を強化する効果があると言われたら、すぐに納得できるだろう。確かに他の方法もあるが、家族祭祀は一つの方法でもある。
このように氏神様との関係を持って、神棚を設けて家族祭祀を行ったら、神宮大麻の役割は分かり易い。神棚に奉斎して、家族の祭祀の一部として導入する。確かに、「なぜ神宮大麻を奉斎しなければならないの?」と聞かれたら、ちょっと答えにくいだろう。それでも、殆どの人の場合、「伝統」とう答えは充分だろう。
しかし、神宮奉賛を考えれば、神宮と感じる絆があると良いだろう。江戸時代以前、日本の住民の大半はそのような絆を持っていたそうだ。伊勢の神宮からの御師が日本を歩き回ったり、神宮大麻を頒布したり、参宮の案内をしたり、伊勢での宿泊を手配したりしたそうだ。その結果、一般の人が御師との強い関係を築き、御師経由で神宮との強い関係も築いた。生憎、御師制度は明治政府によって廃止されたので、その数百年を持って築かれた関係の殆どは破壊された。
それでも、今御師制度を復活しても特に問題はない。(法人などの構造を考えなければならないが、ある構造でできるに違いない。)そのような制度があったら、普通の神社に神宮の布教の責任を押さなくてもよくなるので、それも利点である。江戸時代には神宮だけではなく、富士浅間本宮大社などの富士信仰と関わる網もあったし、神奈川県の大山も、白山も、熊野もあったそうだ。神宮以外の制度は説教的に潰されなかっただろうが、まだまだ生きている例は少なくないようだ。神宮がこのような大社と並んで活動したら、神宮大麻の位置づけが明らかになる。神宮との関係の証になるのである。