類似する基準

前回、類似論には二つの問題があると述べたが、紹介したのは一つだけだった。今回、もう一つの問題を紹介する。この問題はさらに深刻である。

それは、「類似する」の基準の問題だ。

猫を二匹想像しよう。双方は猫であるが、名前はないと紛らわしくなるので「太郎」と「花子」と命名する。一匹は雄、もう一匹は雌。(花子を雄としようか。それも紛らわしいだろう。雄は太郎。)太郎は、赤毛の猫で、体は細くて、速い。一方、花子は黒猫で丈夫で、我慢強い。相違点は多い。太郎は、狐との共通点は多い。花子は、犬との共通点は多い。それでも、太郎と花子が類似するが、太郎は狐に似ていないし、花子は犬に似ていないと強調したいようだ。この基準は何だろう。

この問題は一般化できる。具体的な物は二つあれば、相違点は数えられない。類似点も見つけられる。(電子のような粒子の場合は例外だろう。)だから、「似ている」という基準で、何の組み合わせでもは可能であると言える。だから、自分の考えの組み合わせを間違えるというのは、何のことを指すのだろう。

「自分が定めた基準と照り合わせたら良いでしょう」と考えるだろうが、そう簡単ではない。定めた基準を具体的に考えよう。

この基準は、無限の場合に利用するつもりだから、該当する物を一つ一つ列挙できるわけはない。それより、ある基準を定めて、ものが基準を満たすかどうかを確認する。もちろん、その基準は「猫に似ている」であれば、役に立たない。解決しようとする問題は、「似ている」の曖昧さであるからだ。だから、より具体的にしなければならない。「足は四本ある」と言えよう。(三本しかない猫もいるが、そのような問題を先送りしたい。)では、「足」というのは、何だろう。尻尾が足になる場合はあろうか。ないと言いたいが、そうするために間違いを可能としなければならないので、「猫」の定義で発生した問題がまた発生する。

さらに問題がある。今、「ねこ」との考えはこの動物を指すとしよう。では、その考えの趣旨は、今日まで猫を指すことで、明日から犬をさすことである仮説をどうやって排除するのか。もちろん、考えの意味が変わったら、まだ猫を指すが、何が猫であるかは変わる。今日までの猫が猫ではなくなるし、今日までの犬が猫になる。世界にはそのような変化が発生する場合もあるので、絶対に禁じるわけにはいかない。それでも、珍しいかと思って、そうしない方が良いといえるだろう。

その場合、ちょっと難しい定義がある。「ねこ」との考えは、今日までに生まれた動物のうち、猫を指すが、明日以降生まれた動物の内、犬を指す。この定義であれば、猫ではなくなる動物は一つもいない。そして、この「ねこ」との考えは、「いぬ」と組み合わせよう。その場合、猫は、今日までに生まれた「ねこ」と明日以降生まれた「いぬ」の組み合わせになるので、「ねこ」の定義はややこしいとは言えない。どちらを基本として捉えることによって、ややこしい方が変わるからだ。

結局、「類似論」には様々な根本的な問題がある。このような問題を避けるために因果関係に頼ったので、因果関係をさらに活用して考えの意味を解明できるかどうか、検討したい。それは次回の話題となる。


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