間違いを可能とするために考えや言葉の意味を「2次元」とするのは哲学者の間人気を集めている方法である。先ず、「2次元」を説明して、それから間違いの問題をどうやって解決するかは説明する。
「2次元」というのは、意味には二つの要素があるということである。例えば、物に引き起こされることと他の人が賛同することを同時に導入すれば、それは2次元となる。2次元の二つの要素の間に優先順位は決まっていない。両方は同じように重要である。つまり、両方はないと、意味が成立しない。
ここで、間違いの基盤が明らかになるだろう。その二つの要素が齟齬すれば、間違いである。例えば、考えがある物によって引き起こされたが、周りの人はその使い方を許さない場合、間違いがある。問題がある。
間違いは具体的に何であるかは、すぐに言えない。一人の考えと物との間の因果関係か、周りの人の判断かは、いずれかに問題があるが、どちらの方には問題があるかは決める基準はない。その基準は存在できない。基準があれば、もう2次元ではなくならからだ。その基準が1次元になって、その基準には間違える可能性がなくなる。
では、決める基準はなかったら、どうすれば良いだろう。それは、状況を考えて、適切な修正を決めるべきだと思う。言語や意味は、所詮人間の道具だ。その道具が役に立つ方向へ修正するべきだが、事前に決めつけることはできない。その場でどちらの方が役に立つかは決める。
例えば、夕暮れで岩をちらっと見て、猫だと思ったら、他の人が「いいえ、岩だよ」と教えたら、自分の引き起こしは間違いだったと思うのは明らかに役に立つ方法だろう。その状況で見間違えるのは当然だし、この岩を猫として認めたらこれからの使い方がややこしくなる。
一方、猫を驚くべきところで見つけたら、他の人は否定するだろうが、その猫は見ていないので、周りの人は間違っていると決めた方が良い。
科学的な発見も同じだろう。新しい情報と研究の結果、殆どの人が狐と呼ぶ動物は猫であると分かったとしよう。その場合、自分の引き起こしは猫との考えと結びつけるが、周りの人はまだまだ「狐だよ」と強調する。その場合、他の人に現実を教えたら、他の人の引き起こしを修正すると良い。
意味を2次元とすれば、間違いが可能になるし、意味が発見とともに進化する可能性もある。そして、意味の変動はただの恣意ではなく、その2次元を合わせてなるべく役に立つ言葉や考えを作るための合理的な過程になる。どうすれば良いかは決まっていないが、複数の良くない方法はある。特に、2次元が殆ど噛み合ないようにすれば、それは良くない修正であると言える。
私も、2次元の理論を持論とするし、因果関係での引き起こしはその理論の片方になる。しかし、他方は周りの人の賛同ではない。その詳細は、次回紹介する。