平和国日本

日本の憲法第9条は有名だ。戦争を放棄して、恒久平和を誓うからであるのは言うまでもない。

この第9条は日本には相応しいと認めなければならない。日本の歴史には、平和は重視されてきたからだ。現在までの400年のうち、300年以上は平和だった。このような成績が誇れる国は他にあるかどうか、分からない。ヨーロッパで、スイスは候補者になるが、他はない。そして、平安時代まで遡れば、武士は権力を握らなかった。武力や暴力はなかったとは到底言えないが、武力を至上に仰ぐことはなかった。戦国時代もあるが、江戸時代の平和や戦後の平和は否めない史実である。

これは本当に誇るべき歴史であると私は思う。なぜなら、平和は人間の成長や開花の大前提であるからだ。戦争では、特に現在の戦争では、破壊が広がるし、人が戦死に遭うし、他の目的に使うべき材料や能力は、他の人間を殺したり他の国を滅ぼしたりすることに注入されてしまう。一方、平和が続くと、江戸時代のような文化が発展するし、戦後のように科学や技術が進むし、個人の自由は段々認められて行くし、人生の可能性が広がる。

自衛は生憎必要となることもあるが、武力での自衛が必要にならないように力を尽くすべきだ。早い段階から外国との友好な関係を築き、国際交流で強い絆を草の根レベルから政府間レベルまで育み、外国で暴力を称讃する傾向が見れば、それについて警鐘を鳴らし、具体的な援助でまた平和な道へ導くのは良い方針であると思う。

強調したいのは、戦争が勃発すれば、自衛にはもう失敗したことだ。自衛隊を持たなかればならないが、本能で駆使すれば、役割を果たしていない絶対的な証拠だ。つまり、自衛は戦争に巻き込まれないような行動である。自衛は、平和を保つ行動だ。失敗は、日本が植民地になったことだけではなく、戦争に参加することだ。

戦争は失敗であれば、自衛隊はなぜ持つのだろうかと不思議に思う人もいるだろうが、自衛隊は戦争を防ぐために存在する。乱暴な相手国が現れる可能性は充分あるが、その場合自衛隊はなければ、相手国が武力を発揮して日本を襲うに違いない。一方、自衛隊が存在すれば、侵略を慎重に考えるので、平和的な解決を探るための時間を稼ぐ。ただし、その高く得た余裕を、積極的活かさなければならない。外交は重要だし、人道支援も有用だが、貿易や共同研究、国際交流は一番重要なのではないか。ヨーロッパ連合では、フランスとドイツの間の戦争が考えられなくなったが、70年前まで千年以上を亘って戦争は繰り返された。

平和国として、日本がそのような関係を隣国と築き、これからの平和を確保すれば、誇るべく、日本らしい行動になる。


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