神社検定考察

私は神社検定を三回連続受験して、三回も合格した。そして、今年壱級に合格した。それに、日本論理検定協会で検定試験の開発に二年半関わっていた。その経験を踏まえて、神社検定についてちょっと考察したいと思う。

このブログで書評したとき、神社検定の公式テキストを評価することを表明した。既刊の内容を再利用することは多いが、公式テキストを執筆した経験があるので、なぜそうするかはよくわかる。公式テキストをゼロから作成することは、大変な作業だから、毎年二冊を著すのは無理に近い。少なくとも、大勢の人を当てない限りそうだ。しかし、神社についてのテキストを書く知識を持っている人は極めて少ないと思うので、大勢を起用する選択肢はなかっただろう。そして、再利用であったとはいえ、もう入手しにくい内容は多かったし、手軽な値段で便利な形式で買えるようになったので、神道の知識の普及に貢献するに違いない。

公式テキストの内容は重要な内容である。基礎の基礎は第一巻に納められているし、弐級の基礎テキストは神道の歴史を紹介する。そして、壱級と弐級の補佐するテキストは、神話、遷宮、そして国中の祭りを紹介する。この知識があると、神道の理解が深まる。壱級のテキストでは、神道の宗教や祭りの分析に踏み込む内容だ。確かに一番分かり易い内容ではないが、そのような内容が欲しかったら、本は多い。神社検定の壱級で、より深い、より詳しい知識を問うのは当然だと思う。個人的に、壱級のテキストにある知識を得て、本当にありがたく思う。表面的な考えから踏み込むのは簡単ではないが、神社検定のおかげでできるようになった。

だから、テキストの方について文句はない。

検定試験について、ちょっと疑問を抱く。検定試験で、何を測ろうとしているのだろうか。論理検定では、ロジック力を測定するように工夫した。それは、簡単ではない。ロジックについての知識を試すことは、ロジック力を測定することと大きく違う。だから、ロジック力を問う設問を開発することになった。設問の形を設定したり、鍛えたりした。

一方、神社検定では、何を測定するかと言うと、公式テキストを暗記したかどうかということのように見える。一昨年の参級でも、基礎知識であると到底言えない問題があったが、テキストに掲載された内容だった。今年の壱級でも、同じようにテキストの詳細を覚えないと答えられない設問は多かった。

それはいい目標であるかは、疑問だ。次回、適切な目標についてちょっと論じたいと思う。


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