神社検定弐級の案

前回、私の持論だったが、神社検定参級は神道の基本を問うので、内容について大きな論争はないと思う。「確かにそれは普通だが・・・」と言える点は多いが、入門の参級で、その「が」は試験の範囲を超える。今回、弐級について考えたいが、弐級で意見が分かれる可能性が高くなる。弐級は、神道の奥深さに一歩踏み込むが、その方向の候補は一つだけな訳にではない。この投稿で、私が今思うことを書くので、さらに検討すれば、修正するかもしれない。

先ずは、実践と知識の両立を護持しなければならないと思う。神社での祭祀は神道の中心であるため、それを忘れてはならない。実践側では、下記の項目が思い浮かぶ。

  1. 祭具、装束、注連縄や榊を含めて
  2. 祭員の作法
  3. 祝詞
  4. 神饌
  5. 神楽、雅楽を含めて
  6. 渡御、神輿を含めて

この六つの項目で、一般的な祭祀の内容は網羅されているだろう。祭具は、使われるものであるが、案や大幣、そして神職や巫女の装束もこの範疇にある。祭員の作法は一般の参拝者の作法より細かいので、参級の作法の勉強より進んだことになる。そして、普通の参拝でも、その作法に基づいて振る舞うと良いだろう。祝詞は祭祀の心であると言えよう。祝詞で祭祀の目的を神様に説明するので、祝詞を理解しないと、祭祀の意味を見逃す恐れはある。しかし、祝詞は千年前の日本語で書かれているので、現代人にとって勉強すべき点は多い。神饌も祭祀に不可欠だから、その一般的な種類と供え方を勉強したら良い。神楽と雅楽は祭祀の魅力点になるし、記紀神話まで歴史が遡る。そして、神輿の渡御が「祭り」のイメージの中心となるので、それも勉強すると良い。

知識を考えれば、三つ挙げたいと思う。

先ず、神道の歴史。現行の弐級の半分は神道の歴史だが、それは悪くないと私も思う。神道を理解するために、歴史を把握しなければならない。弥生時代以前の祭祀が神道と直接的に連携しないこと、そして古墳時代以降の祭祀が連綿となることを始め、仏教の強い影響、伊勢神道、吉田神道、修験道、そして国学と国家神道の展開は重要だ。道教や儒教や基督教からの影響を認めながら、神道の進化を説明すつべきだ。今の公式テキストは使えると思う。

そして、主な神社を知ると良い。伊勢の神宮、出雲大社、大神神社、宗像大社、厳島神社、宇佐神宮。候補を列挙する暇がない。12ヶ所程度を選んで、テキストで20頁程度で紹介すれば良い。神社は神道の重要な一部だし、神道の多様性を紹介する。ただし、この神社は、毎年同じくするべきだと思う。毎回変われば、落ちた人の復習と再挑戦が余計に難しくなるからだ。

最後は、神道の多様性を浮き彫りにさせて、変化する一部である。テーマを選んで、テキストで紹介する。例えば、神幸祭の全国の例を紹介するとか、神饌の種類や歴史とか、複数のところの神楽とか、村に根付いた民族の祭祀など。

配分を考えれば、実践は30問、歴史と神社も30問にして、変わる部分は10問に留まらせたら良かろう。神社は12ヶ所程度であれば、神社毎に設問は二つか三つだから、問題はない。祭祀と歴史について異なる30問を発想するのは難しくない。そして、再挑戦で変わった内容は少ないので、復習する機会はなくても、大きな問題ではない。

問題の方式がまた焦点となる。弐級で、神道の理解を試すべきだ。もちろん、作法の正しい方法や歴史の事実を問うべきだが、弐級でそのような問題に留まるべきではない。ただし、四者択一の問題で理解を測定するのは難しい。一番の問題は、間違いなく正しい答えは必要であることだ。だから、その点について、後ほど考えたいと思う。その前に、壱級のあるべき内容について投稿したいので、次回はその話題にする。


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