神社検定の相応しい壱級

弐級は難しかったが、壱級のあるべき姿を考えることはさらに困難である。壱級は、神道を深く勉強して、よく理解することを示すべきだ。ただし、入門からそれほど進めば、分野の広がりは目立つし、優先順位を付けるのは難しい。だから、この投稿はさらに私の意見になる。

先ず、壱級で正当性を問うべきだと思う。独自な神道から始まると危ないが、弐級に合格した人は、神道の普通の形をよく把握するので、違う形を検討することはできる。この課題は、複数の分野を亘る。

最初は、神話で見える。記紀神話は有名だが、日本書紀の「一書」の神話もあるし、『古語拾遺』と『先代旧事本紀』や延喜式祝詞、風土記には別なバージョンがある。平安時代から下がれば、中世の神道神話もある。神社縁起などで、仏教との繋がりを強調しながら、大きく違う話は見つかる。そして、中世の神話を入手するのは容易ではないので、検定のテキストとして出版されたら、助かる。

そして、歴史的な神道の流派の教学や神学もあるが、それは現在の解釈と大きく異なる。伊勢神道で、外宮の御祭神を内宮の御祭神と同じ位か、上回るかと主張した。吉田神道の教学はよく分からないが、秘密を伝授することはあったので、現在の神道と異なる。そして、現在の重要な神社の一部は、近世以前は修験道道場だった。熊野三山、戸隠神社、白山神社、そして月山神社はすぐに思い浮かぶ例である。私の近所と言えば、大山阿夫利神社だ。このような神社の過去を理解して、そして現在でも修験道から受け継がれた祭祀も残るので、それも紹介できる。実は、祭祀と言えば、吉田神道の祭祀も神社本庁の祭祀と違ったようだから、その紹介にも価値がある。

歴史に留まらずに、現代の神道系宗教も紹介したら良いと思う。黒住教などの明治時代以前からの神道もあるし、山陰神道などもある。このような神道の種類を紹介すれば、過去との関係も見えるだろう。例えば、富士信仰が修験道と深く関わると言われるが、修験道も現代の富士信仰を比較できれば、そのことが明らかになる。ここでも、祭祀の違いも浮き彫りになると思う。

正当性を疑問視すれば、自分の理解を探ることになる。これも壱級に相応しいと思うが、そうするための材料は必要だ。だから、今年の壱級のように、神道の哲学などを紹介すれば良い。産霊とは何だろうか、祓いや禊の役割はどうだろうか、などのより深い考えだ。ご神体やお札はどういう存在であるかという問題とも取組める。神道的な倫理は何だろうか。世界観、人間観、国家観などなど。『神社のいろは 要語集 宗教編』の後半の内容はこの分野に入っているが、より深く考えることはできると思う。

最後に、神道の多様性に戻れば良い。皇室神道は壱級に相応しいと思う。なぜなら、一般の人には参加する機会はないからだ。見学もできない。神道を深く理解するために必要な知識だが、日常生活には役に立たない。そのような内容は、壱級である。そして、弐級のような多様性の内容も相応しい。実は、弐級のテキストを使っても良いかと思う。

割合だが、神道の流、神道の思想、そして神道の多様性に分けたら、40%、40%、20%にしたらどうかと思う。だが、これは単純に考えた数字だから、特に理由はない。33/34/33でも良いだろう。問題を作るための材料は充分であるのは疑えないので、割合は更なる検討の上決めても構わない。

しかし、壱級の主な目的は神道についての理解を試すことであるはずだ。事実を知っていることだけではなく、理解するかどうかを問うために、設問には工夫は必要だ。弐級にはこの必要性が初めて浮上するが、壱級では主役になる。だから、次回、この問題について考えたいと思う。


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