教育と道徳

現行の教育制度に不満を抱く人はよく「道徳」や「社会性」を訴える。この人によると、戦後の個人主義の教育の影響で、日本の道徳や美徳がなくなって、乱暴な社会になっているそうだ。この問題を解決するために、戦前の教育を模範として、教育体制を改善して、道徳教育を導入するように推薦している。

では、証拠を見よう。戦前教育は、数十年間行われたので、結果は見える。同じように、戦後の教育がもう70年近く続いてきたので、その結果も見える。

関東大震災が戦前教育を受けた人を襲った。東日本大震災が戦後の教育を受けた人を襲った。反応はどうだったろう。

関東大震災の後で、騒乱があって、在日韓国人や韓国人として見做された人は大勢に殺された。東日本大震災の後で、冷静で支え合う対応は、世界中に絶賛された。もちろん、関東大震災の後で支え合った人もいたし、東日本大震災の後での空き巣もあったので、単純な善悪ではないが、全体的に見れば、東日本大震災への被害者の対応は大幅に良かったのは否めない。

この点で、戦後の教育は勝ち。

そして、戦争のことを考えよう。戦前の教育を受けた人は、大東亜戦争を起こして、戦犯を犯した。一方、戦後の教育を受けた人は、今まで戦争を起こしていないし、当然ながら戦犯も犯していない。

この点でも、戦後の教育は勝ち。

この二点で、戦後の教育が虐殺を防げたと言おう。日本の若者が失礼になったという嘆きもあるが、そのような嘆きは紀元前2000年の古代エジプトからも見えるので、強い証拠はない限り、私は信じない。60年前に若者だった人は、60前には年寄りには超丁寧だったような覚えがあるが、現在の若者は自分に対して丁寧ではないと思っている。これは証拠にならない。自分は良かったが、自分に対して人はよくないという意見は、自己主義で自然であるが、事実であるとは限らない。証拠は、戦前に客観的なデータが集められたし、現在のデータと比べるのは必要だ。戦前のデータは存在しないと思うので、無理だろう。しかし、失礼が蔓延していると認めても、虐殺と比べ物ではない。戦後の教育はまだまだ勝ち。

この比較を考えれば、右翼が戦犯を否定する理由が見えてくる。戦犯はなかったら、そして関東大震災の後の在日韓国人の虐殺はなかったら、戦前の道徳教育は良かっただろう。しかし、その虐殺は本当にあったら、戦前の道徳教育を推薦するのは難しい。「大虐殺を許した道徳教育は日本の理想だ」というと、説得力はない。明記すれば、これは過去の問題ではない。これは現在の教育の形についての問題だ。

私は、証拠を見れば、戦前の道徳教育は大失敗だったと結論しなければならない。一方、また結果を見れば、戦後の道徳教育は大成功だったと認める。


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