多妻制、多夫制

今まで描写された結婚には、相手を一人に絞る理由は基本的にない。だから、自由にするべきだ。

ただし、50人の配偶者がある人はいないと思える。なぜなら、その50人の誰でもは本人の財産を自由に使えるし、扶養される権利がある。50人を扶養できる人は、50人をそれほど信頼出来る可能性は極めて低い。そして、詐欺の方法としてよくない。なぜなら、一方離婚で、相手が自分の財産をまだ使えるからだ。相手は自分の財産を簡単に取り戻せるので、詐欺は難しくなる。確かに口座を上手に隠せば、出来るかもしれないが、違法な行為を完全に無理にするのは結婚制の目標ではない。

現実的に考えれば、5人ぐらいは上限だろう。例外は予想できるが、少ないし、二人の結婚は圧倒的に多いとも思える。

では、多妻制や多夫制を認めれば、重要な問題が発生する。それは、配偶者の配偶者は、自分の配偶者になるかどうか。例えば、太郎が花子と結子と結婚すれば、花子と結子も結婚するか。結婚は、性的な関係を示唆しない制度にしたので、花子も結子も同性愛者ではなくても構わない。

私の感覚は、結婚させるべきであることだ。なぜなら、結婚は平等な関係として築こうとしているからだ。花子と結子は結婚されていなかったら、太郎との関係は平等ではない。それに、太郎は花子の財産をとって、そして結子がその財産を使うことは可能ですので、結婚されていなくても事実上同じような義務が発生する。同居もそうだ。花子と太郎が同居して、そして結子と太郎が同居すれば、花子と結子が同居する。このような事実を表面に表すべきだと思う。そうしないと、間違えて関係を結ぶことはあるので、間違いを防ぐための措置をとるべきだ。

この場合、法定の代理人がどうなるかは問題になる。人が意識不明になったら、治療に同意するのは法定の代理人であるが、現行の制度では確かに配偶者である。配偶者は複数人いれば、どうするか?この関係は平等であることを大前提として、配偶者の誰でもできることを定めるべきだ。そして、他の配偶者はその先に決めた配偶者の決断を取り消すことはできない。配偶者のみんなに強い信頼関係はないと、複数にすることはできないのは確かだが、それは狙いの一つである。

みんなが結婚する条件があるので、普通に再婚する前に離婚しなければならない。だからこそ、この制度が導入されても、普段現行の制度のように利用されると思わざるを得ない。一人と結婚して、その一人は家族を作る相手であることはまだ普通であると思う。


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