手書き離れ

私はあまり手書きしない。

私だけではないだろう。パソコンや情報端末が普及している中、多くの人が手書きより打つことになった。漢字が書けなくなっている問題は久しい。

しかし、最近ちょっと気になってきた。まず、手書きしないと書けなくなる。英語でも、ちょっと書きにくくなったような気がする。そして、直筆の文章は、執筆者との関係は深く感じられる。親しい人への手紙とか、日記とか、作品の原稿など、直筆であれば特別な価値があると私は思う。

誤解されないように、書道などの美しい字を考えていない。私の手書きの字は幼い頃から汚いので、芸術作品の認識は全くない。ただ、他の人が読める字で、私が手で書いた字であることを考えている。(確かに過去の字を見れば、他人は愚か、私でも読めない例は少なくないが、ちょっと気をつければそのような問題は避けられるだろう。)

では、どうすれば良かろう。作品を手書きで執筆することはできない。そうするために仕事のやり方を一から直さなければならないし、出版社に提出するために電子形式にしなければならないので、生活の妨げになる。つまり、仕事以外の何かにしなければならない。

一つの候補は日記だろう。手書きの日記は、伝統的であるし、秘密に自分の考えを書くことはできる。ただし、私の考えの中で秘密にしなければならないことは少ないし、このブログでたくさん書くので、日記に書く内容はあるかどうかは疑わしい。やる気が続くのは心配だ。手書きするために時間を割かなければならないので、有意義なことをしないと、忙しさの中で止めるはずだ。日記は可能だが、他の可能性を考えたい。

日本語の手書きといえば、ブログで披露している短歌を直筆で書けば良いだろう。短いので、それほど時間はかからないし、漢字の練習にもなるので、実践的な立場から良いだろう。そして、短歌は手書きにふさわしい存在だ。パソコンで作歌が終わったら、完成された歌をノートに書き写すのは楽しいだろう。もちろん、筆で書くわけはない。万年筆を使用するつもりだ。

英語の場合、手紙は良いかなと思っている。誰かに送るので、書くことには意味がある。そして、手書きの手紙には特別に感情が含まれるような気がする。数十年前だったら、自然に家族に手紙を出したと思うが、現在ならビデオチャットで連絡を取っているので、手紙はない。ビデオチャットの方が良いが、手紙を書こうとしても、言いたいことのほとんどはもう伝わっている。どうしよう。

まだ結論は出ていないが、とにかく私の手書き離れに歯止めをかけたいと思う。