オタクの服装

典型的なオタクの服装はもてない。これは常識だろう。ダサいと言われるが、それはなぜなのか。オタクの服装は実践的である。動きやすいし、着やすいし、荒れた天気でも平気である。リュックには多くのものを入れて、楽に運べる。つまり、オタクの服装は非常に現実的である。それはなんでダサいと言い捨てられるのかな。

最近思いついた仮説は、進化論から借りた。動物は、自分の本質を他の動物に示したいことは多い。一番分かりやすいは、雄は雌に自分の遺伝子の強さと相手としての適切さを強調することだ。ここで生じる問題は嘘だ。雄が嘘をついたら、雌は騙されてしまう。だから、嘘はつけない方法が進化によって探される。

進化論によると、その一つの例は費用の発信である。(英語でcostly signallingというが、日本語での正式な訳は分からない。)このような発信は、発信するために実力が必要となる。つまり、完全に嘘をつくことはできない。

例えば、どのぐらい早く100メートルを走ることはできるかということであれば、言葉だけなら気軽に「9秒でできる」と言える。嘘だと疑う人はいるが、嘘をつく人と真実を述べる人を区別するのは難しい。このような発信には費用は必要ではないので、勝手に発信できる。一方、100メートルの速度を表示するために25メートルを走る方法を考えよう。25メートルを3秒で走れれば、100メートルを早く走れる可能性は高い。嘘をつこうとしたら、25メートルを早く走れるようにならなかければならない。確かに100メートルの時間と密接な関係を持たないが、25メートルを3秒で走れる人のほとんどは、100メートルを12秒以内走れるだろう。この発信には費用があるので、証拠にもなる。

目立つ色を持つ鳥の雄も同じであるのではないかと言われる。目立てば、野鳥は危険に晒されるが、まだ生きている鳥はその危険を回避できた。だから、力がある証拠にもなる。

では、オタクの服装とどう関係するのだろう。オタクの服装は、費用を要しない服装だ。生きやすくする。だから、この服装で生き残るためには特に力は必要無い。一方、お洒落な服装であれば、まずお金がかかるし、そしてファッションの変遷を見極めなければならないし、それに動きにくくて寒い場合もある。そのような負担を背負っても生き残れる人には、やはり力があると言えよう。だから、相手として適切である、つまりもてる。

もちろん、このような判断は無意識である。尋ねれば、「かっこいい」か「ダサい」かしか言えない。その裏には、進化によって決まった心理があるかもしれない。