参拝マナー

10月27日付の『神社新報』では、参拝マナーについての記事が載っていた。参拝マナーというのは、参拝作法と違う意味だ。作法は、ニ拝二拍手一拝などの動作を指すが、マナーは、参拝しているときの心配りなどを指す。

この記事の中で、マナーの悪さも指摘されることを認めるが、マナーの良さも指摘する。例えば、初詣や大きな神社の祭りで参拝したい人は自然に整列することは広く見えるそうだ。これは確かにマナーのいい例である。しかし、急いでいる人を脇から入らせて、参拝させる神社もあるそうだが、記事の筆者がこのような行動について疑問視した。マナーの悪さに見えるし、個人主義に基づいて神様と参拝者の一対一の関係しか重視しないからだという。

このマナーの問題は、考えるべき問題であると思う。『神社新報』を読めば、まだ定まっていないことは明らかだが、その状態でどうやって配慮するべきかは曖昧であり、不明である。

小さな神社に参拝すれば、普段は問題はない。境内には誰もいないので、作法に従って参拝しても良い。そして、仮に一人がいても、ちょっと待ってから参拝しても問題にならないだろう。大急ぎの場合でも、並列して参拝するのは許されると思う。拝殿の前のところは、専用の空間ではないからだ。

しかし、仮に一人が参拝していて、もう一人が待っている場合、どうしたら良いのか。余裕があれば、待ったほうが良いのは明らかだ。では、余裕はなければ、どう?私は、余裕はそれほどないことは少なくない。どこかへ行く途中で、神社へ寄り道して、参拝する。1分待つことはできるが、5分待つことはできない場合は珍しくない。選択肢は三つ。一つは、脇から入って、参拝すること。もう一つは、参拝を辞めること。最後に、拝殿に近づかずに参拝すること。

完璧な解決策はない。脇から入ることは、マナーに違反する行為に見られるし、確かに気持ちはよくない。参拝を辞めることも、神様に失礼なのではないかと思われるし、せっかく参拝したのにとの気持ちもある。鳥居の辺りから礼拝すれば、賽銭箱には賽銭を入れない。入れるために、拝殿に近づかなければならないからだ。その上、鳥居の辺りから拝礼すれば、待っている人の気持ちが悪くなるだろう。邪魔になっているという罪悪感が湧いてくる可能性もあるからだ。

もう一つの気になる状態は、参拝に参ったときに、ちょうど昇殿参拝をしている人がいる場合。終わりかけていれば、祝詞などが終わるまで待つことはできるが、そうできない場合もある。特に、七五三の季節になると、祈願祭が続々と続くので、合間はあまりない。

この場合について神社で聞いたことがあるが、拝礼しても良いと言われた。大きな神社で、拝殿は広いので良いかと思うが、小さな神社で鈴鳴らしや拍手が祈願祭を執り行っている人の邪魔になるのではないかと感じて、ちょっと遠慮することになる。だから、どうすれば良いかは、分からない。

実は、大きな祭りで境内が賑わう場合は特に問題ではないと思う。大きな祭りは、事前に宣伝されるので、時間はなければ参拝しない。祭りが行われる間に参拝しようとすれば、待つしかない。だから自然の整列に加わると良い。しかし、日常的な場合は、難しい。この場合、個人的な関係と集団的な関係の問題が発生しない。なぜなら、すべての参拝者は個人であるからだ。問題は、複数の個人的な参拝をどうやって合わせたら良いか、ということだ。

私は神職ではないので、マナーを決める立場ではない。だから、悩むだけだろう。