多様性と自由

実質的な自由を社会に根付かせるために、法政整備は必要だが、それだけで問題を解決するとは言えない。この点も、150年前から認められている。法律は、社会の態度を表現する。法律の哲学では、これは法律の重要の役割の一つであると言われている。殺人を違法とすれば、殺人は認めないという意味がある。殺人を防止するために、これも効果があると思われる。だから、自由にするべき行為を法律で禁じたら、社会の対ソを表現して、逮捕や刑罰を考える前に厳しく抑制する。(その効果を信じなければ、タバコと覚醒剤の普及を比べたほうが良い。HEROでは、覚醒剤の危険性を強調した主人公がタバコを吸った。科学的な研究から判断すれば、どちらの方が危ないかは、不明であるそうだ。)

しかし、法律はなくても、社会の態度は残る。社会が批判する行動はしにくい。だから、実質的な自由を実現するために、社会の批判を制限する必要があるようだ。

この点で、重要な問題が生じる。他の人の行動を批判する自由は極めて重要な自由だ。特に権力や影響力を持つ人、例えば政治家や宗教家を批判する自由を守らなければならない。そうしないと、影響を持つ人はすべての権力を集める恐れがある。(だから、「批判するべきではない」と言われたら、危惧するべきだ。現在、権力も影響力もなかったら、批判しないほうが良いだろうが、その批判自体には問題があると信じてはならない。)だから、批判の自由も厳守しなければならない。

では、どうすれば良いだろう。

有名な心理学実験がある。10人ぐらいを部屋に集める。その中で、一人は実験の対象になる。他の人は皆実験に協力する。「実験を行う人」は目標を説明する。実験は、線の長さを判断する能力を検討するという。嘘だが。そして、二つの線を見せる、甲と乙。甲は明らかに長いが、実験と関わる人は皆「乙の方が長い」と堂々という。実験の対象の人は最後の方だから、この発表をたくさん聞いてから答える。多くの人は、「乙の方が長い」という。自分の目を疑う。これは社会の批判の強さを表す結果。

ただし、もう一つの結果がある。先に答える人には一人でも「甲の方が長い」と言ったら、ほとんどの人が目に従って「甲の方が長い」と答える。乙を選ぶ人は圧倒的に多いが、一人の仲間がいれば、自信を持って自分の考えを表明できるようになる。つまり、社会が批判しても、仲間があれば、自分の人生は選べる。

だから、批判の自由も生活の自由も両立するために、仲間を用意するべきだ。仲間が存在すれば、批判を乗り越えて、自分の人生を決めることはできるからだ。多種多様な希望する人生の仲間を用意するために、社会の多様性は必要不可欠だ。だからこそ社会の多様性を推進するべきである。自由を確保するために、多様性を確保しなければならない。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: