古くて新しい

ちょっと時間が経ったが、先の「見て触れて知る」神道についての講座から考えたことについてに記事である。

茂木先生が作法や装束の内容を教えながら、歴史にも触れた。一般の二拝二拍手一拝の拝礼は、明治初期に標準にされたこと。玉串と奉奠の作法は、幕末から明治初期に定められたこと。神饌が調理された食べられる物から生の物に変わったのは、明治初期だったこと。全国の神社の作法が統一となったのは、明治時代で、その前に神社ごとに作法や祭祀の詳細が異なったこと。女子神職の装束は、近年に定まったこと。一方、玉串のルーツは少なくとも奈良時代まで遡ること。神社で使われている案という机は、古墳時代に遡ること。先生が直接に触れなかったが、祝詞も平安時代以前から受け継がれている。

その上、去年の式年遷宮では、戦前の形に一部が復帰したという。一方、宇治橋を遷宮の数年和えに建て替えることは、戦後の事例に基づくこと。出雲大社の平成の大造営では、金物の塗り方は、100年前の形に復帰したという。今年行われた丹生都比売神社での造営で、朱塗りの施しは、江戸時代以前の形にも復帰されたそうだ。

この事実を考えれば、現行の神社制度を厳守する必要は無いことは明らかになる。伝統を踏まえて神社の祭祀を行うのは重要だが、その伝統が神社本庁の規定と合わなくても、深い意味はないといえよう。(神社本庁から離脱することになるかもしれないが、それも深い意味はないと言えるだろう。)そして、ある神社の事情に沿って作法などを工夫したら、神社の一社一社の個性をさらに活かせるはずだが、それはいいことだと思う。

例として、仮に二つ挙げよう。

一つは神饌のことだ。今でも、神社によっての特殊神饌があると言われる。つまり、生物ではなく、調理されたものである。確か、春日大社ではそのような神饌がある。そして、江戸時代以前の伝統でもある。その上、直会の元の形は、参拝者が神様に供えた食べ物を一緒に食べることだったという。祭祀では食べられるものを供えれば、この伝統をより簡単に導入できるのではないかと思う。

もう一つは装束の柄や色である。装束の色と模様は原則として決まり、全国統一されている。しかし、神社によって、御祭神と深い関係のある模様や文様があるし、色もそうである。つまり、装束の詳細を工夫しても良いのではないか。場合によって、日本の伝統的なことを踏まえたら、さらに工夫しても構わないだろう。証拠として、参列者の基準を見てみよう。洋服のスーツは一般的な基準になっているが、それは日本の伝統ではない。前にも触れたが、着物で参列すれば神社が困る場合もあるのではないかと思うほどだ。

このような多様性を促進したら良いと思うが、それと同時に標準があると良い。特に、一般人の参拝者の作法や服装は、どこの神社でも受け入れてもらえる基準があると良い。そうしないと、遠方の神社に参拝することを遠慮するようになる。神社には独特の作法も待っても良いと私は思うが、その独特な作法を習う機会のない参拝者のために、今の標準の作法を認めるべきだとも思う。

要するに、神社の個性や多様性をさらに活かしてほしいのである。


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