帰化の動機書:草案1

帰化申請のためにイギリスから整えなければならない資料はほぼ揃ったので、国内の資料の収集に本格的に乗り出すことになった。区役所などに行って、発行してもらうことは多いが、自分で作成する資料もある。その一つは動機書である。

動機書は、A4の一枚以上のエッセイで、「帰化したい理由」を明らかにすることだ。提出する文は、自筆しなければならないが、直接に記入するはずはない。事前に何を書くかは、ちゃんと考える。その過程をこの投稿で始めたいと思う。

指導として、日本に来るまでの経緯、日本での今までの生活、今までと帰化許可された後の社会貢献、帰化してからの生活の予定などのことが指摘される。一枚を超える動機書も可能だそうだが、その全てを具体的に書けば、博士論文のようなものになる。だから、粗筋を目指す。ここで、草案を載せる。

私は、物心がつくともう日本に興味を持っていた。もちろん、幼児の私は、ガッチャマンは日本の作品であったことは分からなかったが、中学生になったら日本に興味を持って、日本語を勉強しようとした。高校生や大学生になっても、変わりはなかったが、日本語を本格的に勉強したのは、20代半ばだった。『源氏物語』を英語で読んだら、日本語で読みたいと思ったし、現代日本について知れば知るほど日本語で検討できるようになりたかった。

そして、31歳の年齢で、やっと日本に来られた。当初の目的は、日本語を習って、日本語を母国へ持ち帰ることだった。しかし、日本に住めば、その社会環境にも自然環境にも文化にも魅了され、日本に住み着こうとした。そして、妻と結婚して、子供が生まれたので、娘に安定した成長する環境を与えるために、日本を出ないことにした。これは、帰化申請する動機の一つである。

日本に来る前から作者として働いていたが、日本の経験に基づいて、日本と関連する作品を発行したが、それは日本が私の生計に貢献した現象だと言うべきだろう。日本での主な仕事は、英語を教えることで、日本人の研究者の英語での論文発表などを支援してきた。そして、2期連続の4年間は、川崎市外国人市民代表者会議の代表者と社会生活部会長として努めさせていただいた。今でも、川崎市の外国人市民実態調査の実行委員会とワーキンググループの委員として、そして代表者会議から引退してから川崎市多文化共生施策検討委員会の一員として努めさせていただいている。帰化許可を得ると、外国人市民代表者会議に参加する資格を失うが、川崎市が依頼する限り他の貢献は続けたいと思う。その上、日本の国籍を持っている人間にしかできない貢献を探る。これも帰化申請の動機の一つである。民主主義な国に住めば、その一員の責任を担って、少なくとも投票することはふさわしいと否めない。

以上。長い。800文字程度だから、一枚に抑えられない。修正する。(忙しいので、ブログの記事の作成と重ねさせる。)

改善

先日、真由喜の小学校で授業参観日が開催された。私もゆり子も参加したが、仕事関係で私が参加できた時間はちょっと少なかった。それは国語の授業で、「お店ごっこ」の内容だった。つまり、児童らが参観日の前にお店の「しなもの」カードと宣伝を用意して、当日に「お客さん」とのやりとりで日本語でのコミュニケーションを向上する計画である。そして、その前日にあった音楽会で、みんなで感想を述べる場があったが、ゆり子によると、児童らが積極的に参加したそうだ。ゆり子がびっくりしたそうだが、私はびっくりしなかった。なぜなら、読み聞かせに行くとき、余裕があれば児童の感想が求められる。ゆり子は、自分の小学生時代にはこのような活動はなかったと言うが、自分の意見を述べるのはアメリカ人の特徴だと思ったそうだ。

向丘小学校がよくできていると思うが、これは文部科学省の教育要綱にあるとも思う。なぜなら、10年、15年前の日本の教育に対する批判を思い出せば、子供を消極的にさせて、自分の意見を考えて、纏めて、発表する場はなかったということは主流だった。つまり、批判を受けて、教育を改善した。それでも、今でも同じ批判を耳にする。海外からの批判には多いが、国内の批判としてもあるような気がする。

同じような身近な例がある。私の監督するゲームについての批判があったが、それが具体例になったら、10年以上前に刊行した本に載った。この問題は、ほぼ10年前に気づき、改善に努めたし、そういうことを言ったら、最近の本はやはりましであると認めてもらった。それでも、10年前の例がまだ頭に目立つようだ。

もう一つの顕著な例。去年のネットでの記事で、ある分野での女性へのハラッスメントについてだった。ある女性への取材で、その女性が「問題は確かにあったが、5、6年前から改善しつつあると思う」と述べた。記事が下記のように続いた。

「しかし、本当にそうだろうか。◯◯さんに聞いたが、2007年にはこの酷い経験があったそうだ。」

2008年か2009年から状況が改善してきたとすれば、2007年の出来事は全く無関係である。むしろ、2007年にはひどい出来事があったら、改善の可能性が高くなるとも言える。良い状況をさらに改善するのは難しいからだ。それでも、記事のコメントでだれもこの点を指摘しなかったし、記事についての議論では、このことは触れられなかった。

人間は、改善に気づかない傾向があると思う。絶対的ではないが、過去の良くない状況を現状として思い込む傾向は確かにある。

それで、何だろう。

改善の努力を止めるわけにはいかない。ただし、その改善の広報にも努めなければならないだろう。それを可能にするために、問題を認めなければならない。ずっと「問題は全くない」と強調してきたら、急に「問題を改善した!」と強調したらおかしい。問題を潔く認めて、改善に努めて、その成果を堂々と広報する。それはいい方針だろう。

真由喜の合理性

最近、真由喜が次回の誕生日のプレゼントを求め始めた。

欲しいのは、亀2匹。雄と雌。そして、さらに亀の赤ちゃんが卵から生まれてくることも期待しているそうだ。

真由喜は、ペットが欲しいことは依然として変わらず。しかし、その詳細は変わってきた。

「なぜ亀が欲しい?」と聞いたら、

「本当なら犬が欲しいが、ダディーは毛のアレルギーを持っているので、無理だ。」

「でも、なぜ亀?うさぎは?」

「うさぎにも毛があるでしょう。亀には毛は一本も見つからない。」

そして、亀は長生きなので、金魚のようにすぐに死ぬ恐れはない。

このように合理的に自分の欲しいものを考えるのは、親として感動的である。もちろん、7歳だから、考えていないこともある。特に、亀のお世話を見るのは誰か、亀の赤ちゃんが生まれてきたらどうするか、どこで飼うか、などの問題はまだ考えていない。それに、亀を飼うつもりは無い。長生きであるからこそ、子どもの希望に応えて飼うべきではない。数十年の責任であるから、住宅ローンのように大人になってからの決断に委ねるべき。

ただし、問題は真由喜のぶれない姿勢である。今、亀が欲しいと言ったら、誕生日になってもまだまだ「亀が欲しい」と言い続ける可能性は高い。その時、もちろん断っても良いが、子供をがっかりさせたくないことも、親心だろう。