超少数派の活躍

欧米で、マイノリティーがテレビや映画に登場すること、そして会社の経営者として見られることを重視する。その理由は、マイノリティーの子供や若者が自分のマイノリティーに属する人がある分野に見ないなら、自分もできないと思ってしまうからだ。つまり、「私のような人はこれもできる」という考え方だ。これは「ロールモデル」とも言われる。だから、オバマ大統領は、アメリカの黒人には「大統領になれる」と証明する。今10歳未満の黒人の子供は、幼い頃の大統領は黒人だったことを覚えて、自分も大統領になれると思うので、目指す位置を高くすると思われる。

この考え方について複数の疑問点がある。一つは、「私のような人」の定義である。私は、白人で、男性で、背がやや高めで、異性愛者で、読書好きである。ある人は黒人であるが、他の要素は同じであれば、「私のような人」であろう。つまり、私は、黒人の人のロールモデルになれるかどうかという問題だ。それとも、女性のロールモデルになれるだろう。この問題には一般的な解決はないと思う。むしろ、社会環境によって重要なアイデンティティーが変わるので、ある社会で私は黒人や女性のロールモデルになれるが、欧米の社会はそうではないと思われる。

では、日本で「外国人」は重要なアイデンティティーである。白人も黒人も南アジア人も統一されていることもある。しかし、日本で外国人の活躍はあまり見ない。外国人の閣僚は一人もない。(もちろん、日本国籍は必要だが、ロールモデルの場合法律上の国籍は重視されることは少ない。)外国人のキャスターは見たことはない。テレビ番組で外国人が重要な役を担うことは、今のNHKの朝ドラの『まっさん』ぐらいだろう。極めて珍しい。だから、日本に住んでいる外国人や外国系の人のロールモデルは少ない。

しかし、その理由はわかりやすい。日本の人口の2パーセントに満たないからだ。そのような人は非常に少ないので、そのような人が公の場で活躍することも珍しい。白人は、人口の0.25%程度である。

その場合、ロールモデルはない。その上、法律を定めて、活躍を推進することはできない。女性が輝く社会を実現するために、会社の管理職には30%を女性にするように命じても可能だが、白人を1000人に一人としても、見える変化はない。超少数派は平等に扱われていても、あまり見えない。超少数派だから、人数は極めて少ない。

これは当たり前であると思えるだろうが、公平な社会を目指せば、難しいこととなる。特に、この超少数派は社会的に指摘されたら、差別的な扱いを受けていないかと心配するのは当然である。その事実を調べたり、問題があれば改善したりするのは当然だが、調べることさえ難しい。改善策は考えにくい。つまり、超少数派の平等や公平を確保するために、社会全体の総合的な平等を確保するしかない。


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