償い方

犯罪の被害を償うことは、必ずしも簡単ではない。

もちろん、簡単な場合もある。例えば、銀行員が口座からお金をこっそりとることとしよう。持ち主が気付く前に行為が発覚されたら、お金を返すことによって償える。それ以外の被害はない。しかし、これほど簡単な場合は非常に少ない。被害者が犯罪に気づけば、その心理的な苦しみにも配慮しなければならないが、それをどうやって償うべきかは明らかではない。

すぐに計算できる範囲について考えよう。例えば、旅行先で財布が盗まれる場合。その場合、まずは財布と財布の内容を返すこと。できなかったら、内容を新しく代替する。そして、旅行が台無しになったので、旅行費を返す。直接の費用だけではなく、旅行者の無駄になった時間を一時間数千円の時給で払うべきだろう。心理的な被害を別に考えなければならないが、ただのすりで旅行が完全に台無しになることは少ないので、同規模の新しい旅行をもらうことで精神的な被害も償ってもらう場合もあるだろう。

このような例は簡単な方である。お金で被害を償えるからである。実は、負傷もこのカテゴリーに入ることもあるだろう。傷自体はそれほどひどくなかったら、治療費、失った時間、そして失った活動の費用を納めたら、被害の償いになるだろう。ただし、傷があれば、精神的な被害が重くなる場合は多いので、この物理的な計算は足りない。

精神的な被害は、お金で償えない場合もある。同じように、掛け替えの無いものもある。子供の命は一番顕著な例だろうが、恋人からもらった手作りの茶碗もそうである。重要度がはるかに違うが、どちらでもお金に代替できない。償いの概念には制限があると認めなければならない。子供を殺した人を養子とさせるのは加害者の罰にはならない。(聖書の旧約にはレイプの罰として、被害者に結婚しなければならないということは書いてあるが、被害者の苦しみを増すばかりの方針なのではないか。)

そのため、償いをお金でできる範囲に止まらせなければならないだろう。そうではない。すぐに思い浮かぶのは、公表された謝罪などである。特に、名誉毀損などの場合、お金より謝罪の方が被害を少なくするだろう。加害者が真摯に謝罪することは強制的にさせられないが、形だけでも良い場合も少なくないと思う。すぐに思い浮かばないケースもあるはずだから、償いの範囲を事前に制限しないほうが良いだろう。

別な意味でもそうだ。例えば、飲酒運転の事故で被害者が一生介護を必要とする状態になることにしよう。その場合、加害者にはその介護費をなるべく賄う義務を課してもよいと思う。数十年にわたって数千万円に上るだろうが、それでもよし。被害者の苦しみやニーズは絶えないので、加害者の義務も絶えない。それに、飲酒運転でそのようなことが発生する可能性は、だれでも簡単に予想できるので、加害者は公平性を認めなければならない。一方、予想できない場合もある。例えば、ある犯罪者が人の財布を盗んだとしよう。しかし、その財布の中に、重要な鍵が入っていた。その鍵は失われたため、数十人が大きな怪我を負傷した。一生介護が必要な人は、十人以上いる。このような予想外の場合、裁判所で償う義務を軽減することを許したほうが良いだろう。軽減しても、かなり重い負担になるので、その恐れが犯罪を避ける動機になるはずだ。

このように償いで被害者の被害をなるべく抹消したり、刑務所での教育で加害者の問題を解決すれば、犯罪の抑制も再発防止もできるかと思う。と同時に、国家の倫理を勝手に課することは少なくなるので、自由を尊重する制度でもある。