靖國神社の問題

今年は終戦70周年になり、『神社新報』の年明けの1月1日付で神社本庁の田中総長と靖國神社の徳川宮司との対談が載っている。その中で、靖國神社の海外でのイメージを憂える。具体的に海外のメディアで戦争の神社(War Shrine)として捉えられていることを憂える。私はまだ外国人であり、この捉え方についてちょっと説きたいと思う。

まずもって、靖國神社への反対の一部は、政治的な利用であるのは紛れもない事実である。特に中国と韓国の政府は、靖國神社を利用して国内の一体感を増そうとしていると考えられる。神社界では、このような利用を止める選択肢はないだろう。効果がありそうなのは、10年間程度政治家の靖國神社参拝を控えてもらうことぐらい。そうしたら、靖國神社を取り上げるきっかけがほんとんどなくなるので、利用できなくなると思える。その10年間の間、根本的な問題と取り組めば、外交騒ぎなしに参拝できるようになる可能性もあるが、時間がかかるし、神社界に受け入れにくい政策だろう。

では、欧米などでの靖國神社の認識について説明する。一般の人は、ただ単にメディアに読む内容を鵜呑みして、靖國神社は「ヒトラーの墓に等しい」のような誤解を抱えるのは事実だが、そのメディアの描写の背景には、完全な誤解だとは言えない見解がある。

靖國神社は、明治時代に建立された。そして、帝国主義や軍国主義の真っ最中に、戦没した軍人を祀るために設立された。帝国主義の支柱となった天皇制の一部でもあった。そして、一般の神社と違って、内務省や神祇院の管轄下ではなく、陸軍省と海軍省の共同管轄下に置かれた。今でも、この歴史を踏まえて神社本庁の被包括関係を受けていない。その上、神社本庁がその独立性と特殊性を認めて、神社本庁に属していない神社であるのに、活動を全面的に支援する。靖國神社の境内にある遊就館という博物館は、主に第二次世界大戦の軍事活動を紹介する展覧会を行う。

この紛れもない事実を見つめたら、靖國神社は戦争と深く関わる神社であることは否めない。その上、終戦前の日本の帝国主義や植民地などと深く関係したことも明らかである。その意味で、戦争の神社であることは明白な事実であると言わざるを得ない。

しかし、神社側と神社本庁が強調したいことは、戦争を讃美する神社ではないということだ。ここで、根本的な価値観の違いが問題の原因となると私は思う。

欧米で、日清戦争から大東亜戦争までの日本の戦争のほぼすべては、悪質の帝国主義的に戦争であったと看做される。(欧米の戦争も同じように皆すべきであることも否めないが、これで靖國神社の捉え方について論じている。)その悪質の戦争の途中で、戦犯が犯された。靖國神社の御祭神のなか、その戦犯を犯した人も含まれている。このような戦争に戦った人に対して、「英霊を顕彰する」という行為は、戦争を讃美するほかならない。悪質な戦争を批判するべきだし、その戦争を行った人も批判するべきだ。(ほとんどの国は、自分の兵士を例外とするが、海外の態度は完全に合理的であるとは言わない。合理的ではなくても、態度は態度である。)戦犯はなおさらだ。

つまり、欧米の立場から靖國神社の祭祀を考えれば、戦争を讃美する神社である。欧米の戦争の評価を認めたら、避けられない結論である。だから、靖國神社の事実をいかに発信しても、いかに正しく把握してもらっても、批判は抑えられない。

批判を消滅するために、二つの施策が思い浮かぶ。

一つは、日本の戦争の正当性を欧米に納得させることだ。これは無理だと思う。なぜなら、日本の戦争は正当であったら、欧米の戦争は悪質であったからだ。その認識を広くさせるのは大変難しい。米国の占領軍が日本でそのような認識を広めようとしたが、どれほど成功したかは周知の通りである。日本は、欧米の教育を指定できるはずはないし、議論を抑圧することもできないので、米軍ほどの成果は期待できない。

もう一つは、靖國神社の質を調整することだ。「英霊の顕彰」ではなく、「戦没者の慰霊」を基本として、遊就館で日本の戦争の悪質の認識と帝国主義の徹底的な批判があったら、もしかして態度が変わってくる。このような方針も受け入れにくいと思わざるを得ない。

だから、靖國神社の批判は回避できないと私は思っている。


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