帰省と大家族

現代日本の習慣の一つは、お正月とお盆の帰省である。実家に帰って、家族と一緒に時間を過ごす。多くの場合、東京から地方へ帰るので、首都圏出身の人が悔しがることも見える。帰省ラッシュとUターンラッシュの情報がNHKで報道されるが、民放でも伝わると思う。この習慣が日本から消え去ったら、伝統の一部を失ったと感じる人は少なくないだろう。

しかし、この習慣の大前提は核家族化である。大家族で暮らしたら、帰省するところはない。確かに夫婦であれば、双方の両親と一緒に住むわけはないので、離れた方へ帰省できるが、日常的に一緒に住む大家族はお正月とお盆だけで離れ離れになることは、お正月とお盆のイメージと違うのではないか。少なくとも、お正月かお盆か、そのままで過ごすはずだ。しかし、日常生活と同じ環境で過ごせば、お正月やお盆の特別感がなくなる。

そして、今の時点で大家族を促進すれば、過疎過密の問題の解決を妨げると思える。なぜなら、今多くの日本人が大都会に暮らしているので、大家族で暮らすことになったら、その子供たちも大都会に住む。地方への移住は少なくなる。核家族であれば、一人か二人で地方へ転居して、その場で家族を設けることは可能だが、大家族を保とうとすれば、そういうことはない。

もちろん、夫婦には子供は5人程度がいたら、この問題はなくなる。長子と長子の配偶者が親と一緒に暮らして、他の子供が地方などで生活を送って、お正月やお盆に帰省する。しかし、これは維持できる状態ではない。30年ぐらいで日本の人口がほぼ倍になるが、2億人が日本列島で快適に暮らせるとは到底思えない。

これを考えれば、家族を重視すれば、大家族での暮らしではなく、核家族で暮らす大家族の絆を重視した方が良いのではないか。核家族は、地方に転居できるので、消滅する恐れのある自治体の蘇生は期待できるし、人口の減少によって住む環境が良くなったり、食料の自給率が高まったりすることも期待できる。環境問題も自然と軽減していく。そして、その強い絆によって、帰省の習慣が強力に裏付けられる。核家族が日本の各地に住めば、その絆の日本の一体化に貢献する。(家族の皆が一つの県に住めば、家族の絆が日本の「分裂」を招く。文字通りの国家亀裂ではなく、それも可能であるが、ある地域の人は、他の地域の人達への違和感を招く。今でも関西人と関東人の間の対立があるが、関西と関東に住み分ける家族は少なくないので、その傾向に歯止めはかけられているだろう。)

そして、核家族ごとに分散される家族では、個人の自由を保護するのがより簡単になる。だから、大家族での暮らしを強く促さない方が良いのではないかと思ってきた。


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