手書きの伝承

最近、数年前から続いてきたプロジェクトの最終的な段階のために、日本で本の歴史について読んでいる。印刷物の本は主役だが、手書きの本も登場するのは言うまでもない。江戸時代まで手書きの本は日本の主役だったし、それ以降でも様々の分野で手書きの本は重要な役割を担ったそうだ。それを読んだら、伝承の仕方などについて考えてきた。

私が重視することの一つは、多様性である。そして、伝統も重視する。だから、多様性のある伝統を評価する。しかし、それをどう培ったら良いのか、考えなければならない。

ある程度、均一化を強いない限り、伝統が自然に多様になる。しかし、現代の通信が発展されている世界で、伝統の違いが塗り潰されることはある。例えば、一昨年伊勢の神宮の式年遷宮のお白石持ち行事に参加させていただいたとき、その団体のリーダーの一人に服装についての話を聞いた。今の服装は、大阪の地車祭から取られたそうだ。その前、真っ白で、伊勢の独特の祭服だったという。神宮と関連する行事でも外からの影響で地域性がなくなれば、他の神社の祭りはさらにそうであろう。だから、多様性を積極的に推進する方針も良いと思う。

一方、他の地域の習慣を真似することを禁じれば、それとも昔からの伝統をただそのままで維持しなければならないようにしたら、伝統の発展がなくなるし、維持さえ難しくなると思える。伝統や習慣は、時代に合わせて変遷するべきであるからだ。だから、自由に変えられるようにしながら、その変更に特徴が保持されるような制度が良い。

ここで手書きには役割があるだろう。神社や神道の場合、次のような制度を考えている。

祝詞や祭祀の次第は、原則として手書きでしか記録しないこととする。神社本庁の基礎祭祀や基礎祝詞、そして延喜式の祝詞は例外とする。祝詞は、もちろん手書きして奏上するが、例文集は多く使われている。その例文集が均一化を進めてしまうので、手書きに変えて欲しい。そして、手書きの祝詞や祭祀次第は、自分の手で書いた人によって持ち帰ることしか許さない。一方、原則として申し出る人に書写を許す。つまり、ある祝詞や祭祀を習いたい人は、その神社に参拝して、宮司さんに写本してもらう。現代なら、簡単に日本のどこでも行けるし、場合によって新しい祝詞などを普及しようとする人はその手書きの記録を持ち回ることも考えられる。一方、祝詞や祭祀の存在を聞いて、わざわざ写しに行かなければならない。だから、実際に近所の神社のことを参考になることが多くなるし、写すときに省略したり、修正したりすることもあろうから、神社の祭式は地域ごとに似ると思えるが、遠方の祭式が違ってくる。

もちろん、印刷での出版を禁じるのは難しいが、習慣として根付かせたら、自分の写した祝詞などを重視して、印刷物があっても多様性が自然に豊かになるかと思う。


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