「いい母プレッシャー」

先日、ゆり子がNHKの朝市を見ていたが、話題は「いい母プレッシャー」だった。分かりやすい話題だろう。いい母になるために頑張るのは当たり前だから、自分の努力は足りるか、自分はいい母になっているかは、プレッシャーになるのは想像に難くない。番組によると、感じるのは母親の7割強だそうだ。そして、そのプレッシャーをかける元を指摘すれば、半数以上が「自分の価値観」を選んだそうだ。これも予想しやすい。(私は予想できたし。)

一方、「いい父プレッシャー」を感じる男性は3割み満たないとうだった。それはちょっとびっくりした。女性ほど多くないのは当然だろうが、3分の1になるのはちょっとびっくりした。そして、理由として「子育ては妻の仕事」とか「お金を稼ぐのは私の役割」などの古い考え方は多かった。日本ではそのような考え方はまだあるのがわかったが、それほど普及していたとは思わなかった。

親歴はもう7年を超えたが、それもまだ7年しかないとも言える。それはともかく、役割分担の必要性を感じる。お金を主に稼ぐ方と子育ての主役を担う方の分担である。なぜなら、現在の社会では、お金をちゃんと稼ぐために、子供の幼稚園や小学校に合わせるのは本当に大変であるからだ。ひとり親を尊敬しなければならないが、二人がいればそのような苦労を避けるために役割分担をしたほうが良いと思う。もし、仮に、週20時間で300万円を稼ぐ仕事は一般的だったら、仕事も子育ても半分ずつに分けるのは可能だが、そうではない。週20時間で200万円を稼ぐ仕事さえ少ないと思う。(時給は2千円程度だから、時給2千円のパートは非常に少ないような気がする。)

もちろん、子育てをメーンとする方も、パートしても良い。1000円程度の時給のパートは、家計の役に立つ支えにもなるし、週に20時間程度であれば、子育てはまだできるだろう。

ただし、同じように金稼ぎを主役とする方も、子育てに手伝わなければならない。仕事と子育ての大きな違いは、仕事を出て帰ることはできるが、子育てを出ることはできないということだ。子供はいつもいるからだ。だから、精神的なプレッシャーにならないように、相手も時々子育てを手伝わなければならないと思う。そして、子供とのいい関係を築くために、子供とたくさんの時間を過ごさなければならない。いい親になるために、それは必要不可欠だ。そのため、子供を丸一日相手とすることもあるはずだし、夕方や朝には子供と会話したり、宿題などに手伝ったりするだろう。

ここで、「いい母プレッシャー」と「いい父プレッシャー」の違いの一つが浮上する。仕事は主な責任であれば、果たしているかどうかは明白だ。ちゃんと通って、毎月給与をもらったら、仕事の責任は果たされている。一方、子育ての責任は極めて曖昧。子供が十分食べたり、病気の場合、必要に応じて病院に連れて行ったり、学校へ通わせたりするのは基本だが、それだけではない。子供と遊んだり、宿題や習い事を支えたり、旅行に一緒に行ったりすることも良いが、切りがない。何をしても、さらにできることがある。子育ては脇役であれば、「主役はちゃんと果たしている」ということで自分を励ますことはできるが、子育ては主役であれば、それはできない。だから、子育てを担う方は、プレッシャーになりやすいのではないかと思う。

基本的に、この二つの役割は性別に決まっていない。乳児の間、母親が子育てを主に担う理由はあるものの、幼児からどちらでも平等にできる。私たちは、金稼ぎを主に担うのは私で、子育ての主役はゆり子だが、現在の日本ではそのパターンは多いだろう。女性が働いて、男性が子育てを主とする家庭が増えると良いと思うが、それは単純に個人の問題ではないし、時間がかかる変更でもある。


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