経験比べ

川崎市外国人市民代表者会議の意義の一部は、外国人市民を経験した当事者の意見を組み上げる措置であることだろう。経験がある人の意見は、経験のない人の意見より貴重である場合は多い。ただの想像で判断することと、体験を踏まえて判断することとは、大きく異なるからである。もちろん、学識者の意見は、たくさんの体験談や統計に基づいた判断であることは多いので、一人の体験談より貴重である場合も少なくないが、その場面でも体験者の話には特別な重みがある。だから、体験した人に耳をまた向けるべきであると私は思う。

世には問題は多い。人に辛い体験をさせる問題も多い。この問題のすべてを解決すべきであるのは言うまでもないだろうが、すぐに完全に解決できるはずはない。原因を調べて、解決策を定めて、実施しなければならない。そうするために、学識者の見解も、体験者の意見も重要である。特に、解決策を講じるとき、体験者は提案を解決策として看做すかどうかを確認しなければならない。体験者はある提案を解決策として認めなければ、実施しても問題解決と繋がらないだろう。(例外はある。例えば、重病の治療法が見つかったら、患者は効果はないと思っても、学識者、つまり研究者は効果を保障できれば、解決策になる。しかし、それは病気平癒は目的であることは一致されているからだ。多くの問題で、解決になる状態は、体験者からしか聞こえない。)

しかし、問題は多い。同時並行ですべてを解決できるわけはない。だから、優先順位を決めなければならない。何を先に解決するか、取り組む順番をどうするか。これは簡単な判断ではない。解決は簡単にできる問題を優先する理由があるが、深刻である問題を先に解決する理由もある。解決しないと悪化する問題を先にするか、今でも最悪である問題をするか。優先順位を決めるために、情報や評価は沢山必要とするだろう。それで一切役に立たないのは、体験談である。

なぜかというと、経験を比較することはできないからだ。例えば、どちらの方がひどいか。貧乏であることで機会を失うことか、肌色を理由に機会を失うことか。失った機会は同じであるとしよう。それでも、経験は同じであるとは限らない。ただし、一人は「これはとても酷い」といっても、もう一人は「これはとてもとても酷い」と言ったら、どちらの方が酷いだろう。比べる基準はない。

問題の優先順位を決める基準として、客観的な側面しか使えない。その一方、主観的な側面の方が重要であるといえよう。問題は、誰かにとって辛い経験を発生させるからこそ問題であるので、主観的な側面があればこそ問題だ。この矛盾は、解決できないが、忘れてはならない。


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