最初に掲げたい神道の特徴は、非常に抽象的である。それは、日本の伝統であること。
「伝統」の定義として、このブログでちょっと前に提案した基準を使いたい。それは、「発祥者に死のために会ったことがない人が元の形を保ちながら継承すること」である。長い歴史は必要ではないが、少なくとも数年間は必要である。
「日本」の定義として、大八洲の国に含まれている土地を挙げる。大八洲の国というのは、古事記で国生み神話で登場するところである。淡路島から始まり、本州は最後の島である。神道の神話に出てくる定義であるので、神道の本質の理解には相応しいと言えよう。注意したいのは、北海道も琉球も含まれていないことである。なぜなら、この地方は今日本の一部であるし、日本の固有の領土でもあるが、伝統は別な流れである。北海道でアイヌの伝統があり、琉球で琉球王国の伝統がある。もちろん、北海道にも沖縄にも神道の神社が存在するが、これは必要条件ではない。特徴の一つである。大八洲から発生した伝統は、神道に合流することは多いが、北海道や琉球に発生した伝統は別であるので、北海道に由来するからといって、神道である証拠にはならない。
必要条件ではないと述べたが、十分条件ではないのは明らかだろう。日本仏教には日本で発祥した伝統は多いが、神仏習合が境を曖昧にしたと認めても、神道ではない仏教の伝統は存在する。そして、歌舞伎は日本の伝統であるが、神道ではない。これも、源まで遡ると神道と密接な関係を持つが、今は違うのは否めないだろう。
この特徴は、神道を日本と結ぶ特徴の一つである。外国で発祥した伝統も神道である可能性はあるが、神道の他の特徴が揃わないと微妙になる。日本で発祥した伝統は、神道の他の特徴はそれほど多くなくても、神道であると言える場合はある。例えば、日本に鎮座する神社で何かの新しい伝統が始まったら、その伝統は神道の伝統である可能性は極めて高い。一方、海外での神社で他の神道の伝統と共通点は少ない伝統が始まったら、神道ではないと判断することは多いだろう。絶対的な基準ではないが、日本で発祥し継承されたことは、神道である可能性を増す。
このような特徴を認めたら、神道と日本との絆を必然的にする。海外の神道は可能だが、日本での神道はいつも本家になる。現在の神道を考えれば、それは妥当だと思う。しかし、いつまでもそうであるとは限らない。例えば、日本が稼いで植民地を設けて、日本人の大半が火星に移住して、神道を新しい惑星で営むこととしよう。その場合、大八洲で発祥することは、神道の特徴ではなくなるか、少なくとも火星で発祥したことも神道の特徴になる。それでも、これはまだSFの話であるので、現在で、「大八洲の伝統」を神道の特徴の一つとして位置づけたい。