帰化の書類

帰化の申請のための書類収集が続いている。イギリスからの書類はいよいよ整っているので、日本からの書類を集めている。

イギリスからの離婚証明書は、裁判所からもらえるが、去年送ったメールが年末の混沌に見逃されたようだ。1月にまたメールしたら、すぐに返事が来て、そして手紙と手数料を送ったら、すぐに証明書をもらった。そして、先日、母から家族についての申述書が届いた。翻訳は必要だが、それもほぼできた。家族の申述書が残ったが、その大半はもう日本語だし、英語の分はほとんど名前なので、カタカナ表記にするだけだった。5分ぐらいでできた。

そして、税金についての書類を用意した。近所の税務署に行って、申請書を記入して、窓口に着いたら、印鑑は持っていないことに気づいた。その後、県税務署で個人事業税の非課税の証明書を受けて(英語教師の仕事は該当外であるそうだ)、印鑑を取りに戻った。そして、また税務署に行って、証明書を発行してもらった。三年分の納税証明書と課税所得金額証明書、そして消費税の未納はない証明書だった。やはり、金額は経済的な力があることを証明するし、納税証明書は善良な生活を証明すると思う。

残っているのは、区役所からの戸籍謄本や住民票、そして市民税の納税証明書で、それに法務局から不動産投資の謄本だ。書類の再確認のために法務局に電話したが、不動産の書類は、次の面接に行く当日に受け取れるそうだ。それでも、その前に川崎市で用事があるので、事前に用意するだろう。税金関係で、去年分の確定申告の控えの写しは必要だが、まだ提出していない。(その書類も整っているので、すぐにするつもりだ。)

幸い、日本の書類の翻訳は不要だ。

記入しなければならない書類もある。一つは動機書だが、それはもう草案をしている。履歴書や家族の構成などの書類もあるので、これから、他の忙しい仕事の傍らに、それを務める。動機書以外は、難しくなさそうだ。ただし、ゆり子のご両親の正式な住所を聞かなければならない。「1丁目1番地1号」とか「1丁目1番5」などの正式な表記は場所によって異なるが、正しくしなければならいそうだ。

そして、帰化してからの氏名のことだが、真由喜はまだまだ感じの苗字に猛烈に反発している。今回の理由は、私たちが真由喜の前に死ぬので、真由喜は困るということだった。詳しい因果関係は説明できなかったが、自分の長い将来を考えているようだ。そして、私の名前をどうしても構わないと言っている。それは私の名前だから、真由喜には直接な影響はないと。その上、ゆり子も「チャート」のカタカナ苗字が好きだと言っている。だから、苗字を「チャート」にするかと思っている。名前を漢字にするつもりだが、今のところ「出意人」の漢字を考えている。もう少し時間があるので、まだ考えている。

最低賃金

先の「いい母プレッシャー」の投稿で、週20時間で時給の2000円程度の仕事は少ないことに触れたが、それは非正規労働者の労働条件の問題を示唆する。パートの賃金は低すぎると言えるのではないか。

賃金の水準は、二つの方向から見える。まず、経営側の方向から見ると、企業運営は維持できる人件費を越えずに良い人材を確保できるレベルは望ましい。確保できれば、低ければ低いほど良い。労働者側から、生計が立てるほどの賃金は必要だが、その基準をクリアすれば高ければ高いほど良い。もちろん、商法は人間だから、相手の立場から考えて、賃金の調整に同意することは珍しく無い。それでも純粋の立場は、真正面で衝突する。

そして、交渉力を考えれば、労働者側は圧倒的に弱い。労働者は働かないと、餓死する。経営側は、人手不足であってもしばらくの間商売は続けられる。生活には打撃はない。この不均等な状態の改善策の一つは労働組合だが、もう一つは最低賃金の法律である。労働者の交渉力はいかに低くても、少なくとも最低賃金の収入を得ることを保証する。

しかし、最低賃金の水準を定めるのは難しい。欧米では、最近「Living Wage」(生活のできる賃金)の運動があって、その水準が15ドルや10ポンドになる。円に換算すれば、時給は1800円ぐらいになる。現行の最低賃金の2倍ぐらいである。最低賃金はこのレベルだったら、親の二人は両方20時間労働して、金稼ぎと子育てを平等に分け合えるようになる。その上、最低賃金で週40時間働く人の年収は360万円ぐらいになる。それで、貧困問題と格差問題が一気に解消されると思うだろうが、もちろんそれほど簡単ではない。

現在の経営の多くは、賃金をその水準まで引き上げたら破綻するはずだ。人件費が1.5倍になるか、場合によってほぼ2倍になるので、経費の急増になるが、売り上げが上がらない。もちろん、不適切な莫大利益を得ている企業は維持できるが、そのような企業は少ない。

「生活賃金」と名付けよう。(私は、イギリス生まれだから、「リビングウェージ」のようなカタカナ語は避けたい。日本語なら、日本語にしてほしい。)生活賃金を段階的に導入したら、状況はどう変わるのだろう。二つの変更は予想できる。

まず、低所得者の収入が1.5倍から2倍に増える。それは単純に最低賃金から生活賃金に変わることだ。

そして、値段が上がる。この賃金を賄うために、それしかない。利益が減少することも見込まれるが、値上げはさけられない。しかし、値上げ幅を考察すれば、1.25倍以下になるのではないか。人件費は売り上げの30%程度であるのは普通だと言われが、小売業はちょっと高いそうだ。50%としたら、そしてその全ては賃金が2倍となる最低賃金の従業員であるとすれば、賃金の増加は売上高の50%になる。これは最高水準である。ほとんどの経営で、最低賃金ではない人も多いし、人件費の割合はそもそも低い。

値上げは50%であっても、低所得者からみれば有利である。自分の収入が2倍になったので、買える量は33%増えた。もちろん、収入が変わらない人は、買える量が33%減る。しかし、貧困には陥らない。低所得者より収入はまだ高いからだ。

つまり、最低賃金は低すぎたら、貧乏な人が事実上中間層に援助を捧げる。これは倫理的には良くない。ここで考えているのは、週40時間を働く労働者であることは念頭に置かなければならない。この低所得者は努力している、苦労している人たちである。そのような人が経済的な余裕を持つ人に助成金を間接的に捧げるわけにはいかないだろう。生活賃金の導入によって、そのような現象が解消され、社会の格差も縮む。

しかし、変更はそれほど単純であるはずはない。社会に大きな変更を齎せば、予測できない変更も発生するのは決まっている。だから、生活賃金を一気に導入しないほうが良い。段階的に導入すれば、社会が調整できる。だから、例えば最低賃金を900円から1800円に上げようとすれば、毎年100円で引き上げて、9年間で1800円になる。9年間は、経営にとって予想できない期間だから、調整はできない企業は潰れても良い。そもそも力はなかった。ほとんどの企業は、対応できると思える。(現行の最低賃金は680円から始まるので、11年間をかけて引き上げても良い。)

こうすれば、より公平な社会になるので、このような政策は実施してもらいたい。

「いい母プレッシャー」

先日、ゆり子がNHKの朝市を見ていたが、話題は「いい母プレッシャー」だった。分かりやすい話題だろう。いい母になるために頑張るのは当たり前だから、自分の努力は足りるか、自分はいい母になっているかは、プレッシャーになるのは想像に難くない。番組によると、感じるのは母親の7割強だそうだ。そして、そのプレッシャーをかける元を指摘すれば、半数以上が「自分の価値観」を選んだそうだ。これも予想しやすい。(私は予想できたし。)

一方、「いい父プレッシャー」を感じる男性は3割み満たないとうだった。それはちょっとびっくりした。女性ほど多くないのは当然だろうが、3分の1になるのはちょっとびっくりした。そして、理由として「子育ては妻の仕事」とか「お金を稼ぐのは私の役割」などの古い考え方は多かった。日本ではそのような考え方はまだあるのがわかったが、それほど普及していたとは思わなかった。

親歴はもう7年を超えたが、それもまだ7年しかないとも言える。それはともかく、役割分担の必要性を感じる。お金を主に稼ぐ方と子育ての主役を担う方の分担である。なぜなら、現在の社会では、お金をちゃんと稼ぐために、子供の幼稚園や小学校に合わせるのは本当に大変であるからだ。ひとり親を尊敬しなければならないが、二人がいればそのような苦労を避けるために役割分担をしたほうが良いと思う。もし、仮に、週20時間で300万円を稼ぐ仕事は一般的だったら、仕事も子育ても半分ずつに分けるのは可能だが、そうではない。週20時間で200万円を稼ぐ仕事さえ少ないと思う。(時給は2千円程度だから、時給2千円のパートは非常に少ないような気がする。)

もちろん、子育てをメーンとする方も、パートしても良い。1000円程度の時給のパートは、家計の役に立つ支えにもなるし、週に20時間程度であれば、子育てはまだできるだろう。

ただし、同じように金稼ぎを主役とする方も、子育てに手伝わなければならない。仕事と子育ての大きな違いは、仕事を出て帰ることはできるが、子育てを出ることはできないということだ。子供はいつもいるからだ。だから、精神的なプレッシャーにならないように、相手も時々子育てを手伝わなければならないと思う。そして、子供とのいい関係を築くために、子供とたくさんの時間を過ごさなければならない。いい親になるために、それは必要不可欠だ。そのため、子供を丸一日相手とすることもあるはずだし、夕方や朝には子供と会話したり、宿題などに手伝ったりするだろう。

ここで、「いい母プレッシャー」と「いい父プレッシャー」の違いの一つが浮上する。仕事は主な責任であれば、果たしているかどうかは明白だ。ちゃんと通って、毎月給与をもらったら、仕事の責任は果たされている。一方、子育ての責任は極めて曖昧。子供が十分食べたり、病気の場合、必要に応じて病院に連れて行ったり、学校へ通わせたりするのは基本だが、それだけではない。子供と遊んだり、宿題や習い事を支えたり、旅行に一緒に行ったりすることも良いが、切りがない。何をしても、さらにできることがある。子育ては脇役であれば、「主役はちゃんと果たしている」ということで自分を励ますことはできるが、子育ては主役であれば、それはできない。だから、子育てを担う方は、プレッシャーになりやすいのではないかと思う。

基本的に、この二つの役割は性別に決まっていない。乳児の間、母親が子育てを主に担う理由はあるものの、幼児からどちらでも平等にできる。私たちは、金稼ぎを主に担うのは私で、子育ての主役はゆり子だが、現在の日本ではそのパターンは多いだろう。女性が働いて、男性が子育てを主とする家庭が増えると良いと思うが、それは単純に個人の問題ではないし、時間がかかる変更でもある。