名前を漢字にする実践的な理由

先日、特定健診の関係で病院に行くことになった。地元の病院からの紹介状を持って、私立の総合病院に行った。その病院は初めてだったので、申込書を記入して、診察券を作成してもらった。長く待つことになったが、その途中で事務員に呼び出された。

「診察券を見てもいいですか?ここでの名前は間違いないですか?」「デビト」と書いてあったので、間違い無いと言った。「ただし、お医者さんからの紹介状には「デビット」と書いてあります。」

これはよくあること。保険証に「デビト」と書いてあるし、私が記入すればいつも「デビト」と書くが、それでもお医者さんが自分勝手な表記にしてしまう。実は、「デビト」の表記でも、岡崎市の職員の自分勝手な表記にすぎない。しかし、それは外国人登録証明書に書いてあったので、その表記は証明できる表記になったので、方針として、どこでも使うようになった。それでも、彼方此方で様々な表記になってしまう。ローマ字で表記するところを除けば、「デビト」、「デビット」、「デビド」、「デイビッド」、「デイビット」などなどがある。

見た目で、私は帰化したかどうか分かり得ない。それに、保険証は帰化しても原則として変わらない。(名前が変わらない限り。)だから、カタカナの名前のままで帰化すれば、これからもずっと名前の表記がバラバラになる。いままで大した問題は起こっていないが、名前の表記が一致しない理由で問題が十分起こり得るだろう。それを防ぐためにも、名前を漢字表記にする。漢字で表記すべきであれば、まずは覚えてもらう可能性は高い。そして、ジムをする人が勝手に漢字を変えたり、カタカナに書き換えたりすることはないとも思う。日本人の場合、そうすれば大変失礼であるので、選択肢として思い浮かばない。カタカナは、ただ外国語の言葉の表記だから、一応当てれば、なんでも良いとの認識は少なくないようだ。

苗字は、この観点から見れば大丈夫だ。「チャート」を別な表記で表そうとしても、選択肢は思い浮かばないからだと思う。だから、苗字をカタカナのままにしても、問題が発生するとは思わない。ひらがなで表記すれば、「ちゃあと」になるので、変に見える。(だから真由喜も常にカタカナで書く。)「チャート」は安全だ。

ただし、住基ネットのカードを発行したほうが良いと思う。私の名前は本当に漢字で表記されることは信じてくれない人に会うかと思う。その場合、身分証明書を出せれば助かるよね。

先祖崇拝

先祖崇拝も、自然崇拝と同じように神道の特徴として掲げられる。実は、神道の本質を論じる場合、自然崇拝か先祖崇拝かのどちらの方が重要であるのは論争の焦点となることは少なくない。

先祖崇拝は、氏神の概念の原点で見える。氏神の多くは、ある氏のの祖先だったと言われる。それは、実在した人間が神として扱われてきたか、それとも神に氏の原点を仮託したかは、今の時点で判別しにくいのだろう。どちらにしても、祖先を重視したようだ。その上、彼岸もお盆も、もともと神道の祭祀だった。現在、仏教に属していると思われるが、よく考えたら、仏教の死生観の下で、筋が通らない。仏教で、死後地獄を通って、輪廻する。生まれ変わる。だから、お盆や彼岸に墓や実家に戻ることはできない。地獄にとじ込まれているか、それとも別な生き物としてこの世に生きているか。(菩薩になった可能性もあるが、それは死者の皆であるとは、正当の仏教では言えないだろう。)しかし、神道で死者が神になって、子孫を見守ると言われたので、お盆と彼岸でこの世を訪れて、子孫とある種の交流を持つことは十分可能である。

しかし、先祖崇拝についても、自然崇拝と同様に私は疑問を抱えている。

まず、否めない事実は、平安時代から江戸時代まで、死者の扱いは主に仏教に任されたことだ。伝統的な日本の家には神棚があるが、先祖崇拝を行うのは仏壇である。神道で御霊舎というものがあるが、神社の境内に設けられた例を見たことがあるが、家に設置されたものは見たことはない。現在の神道では、神葬祭は行われるが、『神社新報』では先祖崇拝を取り上げる記事は非常に少ない。先祖への感謝は確かに強調されているが、それが祭祀の形をとることは少ないし、「崇拝」に至るかどうかは曖昧である。

そして、神道の死生観は非常に曖昧である。死者の魂が山に行って神になる説もあるが、地下の黄泉の国の話もあるし、海の彼方にある常世の国の話もある。平田篤胤が大国主大神をあの世の主としたが、それは平田派の特殊な信仰だっただろう。先祖崇拝は神道の重要な要素であったら、もう少しはっきりした話があるのではないか。

その上、先祖崇拝は他の宗教によく見える。儒教は顕著な例だろう。これは、神道に存在しないことの証拠ではない。むしろ、普遍的な状況であるので、神道にも見えるのではないかと言える。ただし、広く見えることなら、神道の特徴だと言い難いのではないか。

神道には先祖崇拝の歴史があるのは否めないので、自然崇拝と同じように祭祀に取り入れたら、神道の色を薄れないが、先祖崇拝が見えるからと言って、神道色が強くなるとは必ずしも言えないだろう。

残業問題

厚生労働省によると、日本人の会社員が働きすぎるそうだ。過労死の原因となると言われるし、少子化の原因の一つでもあるという。(いつも働いているので、赤ちゃんを作る余裕はない経緯で。)この問題を解決する方法を探っているそうだが、見つけやすいと私は思う。

企業に、要求した残業や許した残業に給与を支払う義務を課せば、直ちに問題が解決する。

定義を定めないと狙いが明らかにならない。残業は、一週間に40時間を超える労働を指す。そして、契約はパートであれば、その契約の時間数を超える労働時間を指す。要求された残業は分かりやすいが、許された残業はそれほど明らかではない。それは、会社の要求なしに会社員が行った時間外労働を指す。会社の許可も必要ではない。会社がその労働を防がない限り、給与を支払わなければならない。

そして、支払わねばならない賃金も定める。まず、正社員は毎年2000時間を働くと見なす。ボーナスを含めて年収を2000に割って、看做し時給を計算する。パートであれば、1週間の労働時間の50倍を年間の労働時間にして、それで時給を計算する。もちろん、時給制であれば、計算する必要はないが、ボーナスなどはすべて含む。残業時間は、切り上げる。5分の残業は1時間と見なすことだ。そして、週に5時間までの残業は、看做し時給の1.5倍の給与を支払わねばならない。6時間から10時間は、看做し時給の2倍になる。11時間から15時間までは3倍。同じパターンを無限に続ける。つまり、年収は400万円の会社員が毎週70時間働いたら、企業には1475万円を支払う義務が生じる。(計算:看做し時給は2000円。週にまず8万円を支払う。そして、30時間の残業がある。5時間の3000円の時給は15000円、5時間の4000円は20000円、5時間の6000円は30000円、5時間の8000円は40000円、5時間の10000円は50000円、そして5時間の12000円は60000円。合計は、1週で29万6千円になるので、50週間の年間で1475万円に上る。)

最後に、会社員には、残業は証明できれば、退職してから残業代を請求する権利を与えるし、その権利を妨害する契約の条件を無効とする。

企業はそれを避けたいと思うので、会社員が残業しないように工夫するはずだ。ただ残業を求めないで莫大な時給は避けられないので、積極的に残業しないように工夫しなければならない。許可無しの残業に支払う義務を課さないと、会社はただ正式に要求しないが、会社の雰囲気や出世条件によって「残業雰囲気」を醸す恐れがある。無許可の残業でも支払う義務があれば、「残業しない」雰囲気を作ろうとするにちがいない。もちろん、週に5時間までの残業を許すことは少なくないと思うが、それは当たり前だ。仕事の量を正確に計算するのは難しいからだ。しかし、問題になる長い残業を撲滅するはずだ。多くの会社で、サービス残業を解雇の根拠とするだろう。

この法律を5年間で段階的に導入したら、5年間で過剰残業を撲滅できると思う。