漠然とした計画

先日、またEthicsという論文雑誌を読んで、興味深い論文があった。その論文は、漠然とした計画についての論文だった。

「漠然とした計画」はここで確定した意味を持つ表現である。そのような計画は、目的はあるものの、その目的のために働かなければならない瞬間は存在しない計画である。哲学者は哲学者のために書いた論文だから、身近な例として、本の執筆を挙げた。本を書くために、パソコンの前で座って、パソコンを打たなければならない。そうしないと、本が著されないのは明らかだ。しかし、ちょうど今の5分間書かなくても、本は完成させるだろう。いつの時点であるとしても、その通りだ。だから、執筆自体はちょっと面倒くさければ、しない傾向は強い。

これは、作家として身近な経験である。本を完成させるために、緊急ではない時点で自分を書かせるしかないのはよく言われる。そして、締め切りの効果もここから発生するのだろう。締め切りが迫ってくると、今書かなければ間に合わないことになるので、無理しても書く。これは、作家の心理的な問題として広く知られている。

しかし、論文でより深い問題は指摘されている。普通の決断理論では、いつもやる理由は一番強いことをやるべきであると言われている。一見見れば、合理的な基準だろう。今の選択肢は例えばみかんを食べるか、リンゴを食べるか、みかんを食べる理由の方が強ければ、(例えば、みかんの方が好きであるとか)リンゴを選ぶのは不合理的で、バカな決断であると思える。

ただし、これを基準と連れば、本は書けない。ある瞬間で、本を書く理由はそれほど強くない。確かに、本が書きたい気持ちは強いが、この瞬間で書かなくても、本は十分完成できる。だから、今本を書くのは面倒くさくて、ネットでフェイスブックをした方が楽しければ、フェイスブックをするべきである。長期的な本を書く計画は、今書けと言わないので、今どうするかと問われたら、今のやる気を見るしかない。しかし、これはそうであれば、本は書けない。いつも別なことをしてしまうからだ。

つまり、漠然とした計画を持つのは普通だが、そのような計画を実現するために、時々その瞬間する理由は弱い方の選択肢を選ばなければならないそうだ。合理の定義を考え直さなければならないようだ。

確かに、締め切りを入れたら、締め切りの直前で書くことは合理的になる。ただし、一般にそのような仕事計画は不合理的であると思われる。仕事を締め切りまで余裕を持つ時点で開始して、着実に進めた方が良いと一般に思われているのではないか。このパターンは、決断理論で説明できないようだ。理論を改正しなければならない。

改正によって、より確実に本を書くにようになる技が発見されるといいね。

(今回の論文は、’Vague Projects and the Puzzle of the Self-Torturer’, Sergio Tenenbaum and Diana Raffman, Ethics 123:1, pp. 86-112, 2012)


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