昨日のニュースによると、文部科学省が高校の英語の教員の英語力と英語での授業を調べたところ、目標から程遠いそうだ。
私は驚かない。当たり前な結果であると思う。
まず、教員の英語力の基準は、英検準一級である。これは結構上級のレベルだから、高校の英語の教員にはふさわしいと私も思う。中学校の教員も同じレベルになると良い。しかし、そのレベルに達するために、勉強も練習も必要となる。すぐに取得できるものではない。大学で英語を勉強することは、普段は足りない。だから、教員には援助金と時間を与えないと、すぐにそのレベルに達するとは思えない。実は、最善環境を想定しても、1年間がかかると思える。筆記テストは簡単ではないし、面接テストも厳しいからだ。(そして、確か筆記テストは年に一回なので、ギリギリ落ちたら一年待つしかない。)
必ずだと言えないが、もしかしてこの目標を立てたときに、教員の支援を構成しなかっただろう。その場合、期待できない。教員の仕事は軽いものではないので、普通の仕事に加えて英語の試験勉強を加えるのは難しい。支援はないと、結局授業をちゃんと行うために勉強を犠牲とする教員は少なくないだろう。
そして、英語での授業のことだが、目標は50%だそうだ。もちろん、これも理想としてとても良いと思う。コミュニケーション能力の向上と繋がるし、英語についの自身とも繋がるので、普及を促進するのはすごく良い。
ただし、私は仮に高校の教員であったとしたら、レッスンの半数を英語で行わないだろう。問題は私の英語能力ではないのは言うまでもないだろう。むしろ、問題は生徒の英語能力である。英語能力は低い生徒がいれば、英語で行われるレッスンについていけない。ついていけなければ、英語能力がさらに低迷する。結局、逆効果をもたらす方針になりかねる。
高校のレッスンを英語で行うために、まず中学校の英語のレッスンを改善しなければならない。中学校で、生徒は皆英語でのレッスンについていける能力を身につけるように努力しなければならない。そして、教科書や教材などを一から作り直さなければならない。レッスンは英語で行われるとしても、日本語の補足の説明を提供する教材は必要だと思えるが、それは英語のレッスンと合わせないと役に立たない。特に、英語で行われたレッスンで、日本語の用語が出ないので、その英語の用語の説明も必要である。
この環境づくりはどれほどできているかは、直接にわからないが、結果を見れば整っていないと思わざるを得ない。
この現実から一般的な教訓も得られると思う。理想を立てるのは良いことだが、政策では現状から理想への道程を詳しく描かなければならない。