神道を外国人に紹介するとき、「神様とは」は一番の難題であると私は思う。
まず、神道の神学では、まとまった答えはない。本居宣長の定義はよく掲げられているが、実はそれも問題視できる。宣長は山から人間まで、尋常を遥かに優れるものは何であっても神であると言うが、殆どの神道の入門書を見たら、「浅間神社の御祭神は富士山ではないが、富士山に降臨する神である」などの説明は散見できる。そして、神様の性質は大きく異なる。天照大御神は神様であるが、明治天皇も神様だ。(明治神宮の御祭神であるので、神様であることは疑えない。)八幡様と稲荷様は、神社によって異なる。八幡様の一柱は応神天皇であるのは固定されているが、他の二柱は神功皇后と姫神であったり、仲哀天皇も奉斎されたりする場合がある。稲荷様は、祭神名は神社によって完全に異なる。神様は目に見えないものであることはよく言われるが、例えば明治天皇の写真がある。すぐに「これだ」として出せる定義は存在しない。
そして、欧米人に「god」と言えば、誤解するに違いない。前に触れたが「god」は全知全能の存在を指すし、宇宙を造った存在も指す。そして、完璧で悪質なところは一つもない存在である。神道の神様はそうではないのは明らかだ。定義できないとしても、欧米のgodではないことは言える。だから、欧米人に神様を説明しようとすれば、すぐに誤解される。つまり、「god」という言葉な禁物。
では、どうしたら良いのだろう。先ずは、神様は目に見えない精霊であることから始まったらよかろう。問題視できるが、神社人の多くはこのようなことに賛成できるようだ。そして、神様は多数であることも明記すべきである。一神教を背景とする外国人は多いので、それを明記しないと神様は一柱しかいないと思い込むだろう。次は、神様の多様性である。山や滝の自然現象と関わる神様、歴史的な人物であった神様、職業などを司る神様、ある氏族の祖先として拝められる神様などを列挙すると良い。多数であることと多様性を紹介するのは重要である。
その上、神様は必ずしも人間に優しいとは限らないことも紹介した方がよかろう。それは一神教と大きな相違点であるし、祟り神信仰の理解には必要不可欠である。ただし、現在の神道ではこの要素はそれほど重要ではないし、説明の紙幅は厳しく限られているので、省くべきかもしれない。
明記するべきことは、神様が鎮座することである。つまり、神様は特定の場所を本拠地とすることだ。キリスト教の神様はどこにもいるし、特定した居場所を持たないので、これも大きな相違点である。そして、この相違点は神社の説明には極めて重要である。神社、特に本殿は、神様が鎮座する場所である。
このぐらい説明すれば、もうさらに詳しく説明する余裕はなくなる。これで神様の概念をちゃんと把握してもらえるとは思えなくても、少なくとも大きな誤解は解消されるのは期待できるだろう。