実験方法

では、先日神様の存在を調べる実験を抽象的に論じたが、今日具体的な実験方法について考えたいと思う。

神饌には、基本がある。現行の制度では、お米、お水、お酒、お塩になる。この四つのいずれかを省ければ、失礼になる恐れがあるので、この四つを毎日供える形式にする。実験の対象は、もう一品の供物になる。神様の好みは分からないので、その一品には多様な選択肢を提供した方が良かろう。例えば、鯛、鮑、なす、リンゴ、お餅、ご飯を六つの選択肢とすることはできる。この選択肢は神前に供えられたものであるので、原則として適切であることはわかる。もちろん、尋ねたら、実際に供えなければならない。そのように嘘をつくのは子供に対しても失礼だから、神様にたいしては如何なものか。その上、仮に神様が存在するとしたら、答えを尊重しなければ、正直に答える度行きがなくなるので、結果は役に立たなくなる。だから、実践問題を鑑みて、この選択肢を修正する頃になるだろう。鮑や鯛はちょっと高いとか、一年中は入手できないものもあるなどのような問題を始める前になくさなければならない。

そして、実験のやり方だ。まず、選択肢を提供して、神様の神慮を伺う祝詞を作文しなければならない。最近の神事ではそのような祝詞は少ないので、ゼロから作ることになると思うが、勉強しているのでそれはできるだろう。まだだが、明日から実験を始めるつもりであるわけはないので、それは問題ではない。選択肢を掲げたら、神託を受けなければならない。

実験のために、籤を使うと思う。人間を通しての託宣であれば、人間の意志が関与する疑いは払拭できないので結果は証明にならない。ただし、完全に偶然であるはずの籤で選択を得れば、人間の意志は関与していないことが分かる。籤として、お箸に番号を描いて箱から降って下ろす方法もあるし、箱から見ずに取る方法もあるし、選択肢を偶数にすればサイコロを振って決めることもできる。

様々な方法があるのは重要である。なぜかというと、結果はなければ、神慮を伺う方法には誤りがある可能性があるからだ。伝統的に籤はよく使われている方法だから、出発点として良いと思われるが、調整できる形に最初からした方が良い。

そして、結果はカイ二重検定によって分析する。偶然であれば、長期的に神饌の間の差はないはずだから、その差が出れば、何かがあるかもしれない。そのような結果が見えてくると、まず他の原因を排除しなければならない。例えば、サイコロを使ったら、番号と神饌の相当を変える。番号はそのまま違って来れば、サイコロには問題がある。(その場合、事前にサイコロには問題はないかを確認するけれども。)他の方法では同じようなことはする。

確信を持てる結果を得るために、実験を少なくとも数ヶ月続ける必要があると思えるので、すぐに結論と結ばない。早くても、結果はこれから1年後に出るかと思う。もう少し考えて、実現するかどうかは決める。


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