外国人の指し方

ゆり子の職場で接客のマニュアルがある。その一部は日本人以外のお客様に対して、「外人」という言葉ではなく、「外国人」という言葉を使うように指導される。それは常識になっているようだ。(個人的には、気にしない。在日歴は12年しかないので、「外人」は悪口であった時代の記憶はないので、悪い気持ちにならない。しかし、気にする人もいるので、気をつけたほうが良い。)

そして、先日私が務めさせていただいている川崎市の委員会の会議は開催されたが、市の行政の改革の影響で改称された。今は、「川崎市人権施策推進協議会外国人市民施策部会」になっている。口にすると早口言葉のようだから、練習しなければならない。審議の中で、この「外国人市民」の呼び方が話題となった。「市民」の部分には問題はないが、「外国人」のところが問題となった。

「外国人」という言葉を聞いたら、何が思い浮かぶだろう。私たちの推測で、外国出身の日本国籍を持っていない人なのではないかと思った。(白人が思い浮かぶ場合は多いが、それは別な問題だ。)確かに、そのような外国人、つまり私のような外国人は典型的である。しかし、市の方針では、そういう意味に限らない。まずは、特別永住者の場合を考えよう。日本の国籍を持っていないが、日本出身である人はほとんどだ。親も日本出身である人は多いし、祖父母も日本出身である人は少なくないだろう。日本語は母国語で、母国も日本であるとも言える。韓国・朝鮮人の特別永住者の中には、韓国語はできない人もいるそうだ。そして、外見は日本人と変わらない。それでも、外国人である。

そして、私は帰化を申請した。許可を得れば、国籍は日本国籍になる。外国出身であることはもちろん変わらないし、外見はいわゆる日本人と違うことも変わらないが、法律上外国人ではなくなる。国民の一人になる。それでも、川崎市の指針で、まだ「外国人市民」である。指針は、法律上の国籍に拘らずに外国と深いつながりのある人を「外国人市民」として考えて、特別なニーズに応じようとする。

特に重要なことは、国際結婚の子供である。その子供の大半は二重国籍を持つ(選択しなければならないのは、二十歳になってからだ)ので、法律上外国人でもあるし、日本人でもある。ただし、出身地は日本で、母国語も日本だ。「自国」を定義しようとすれば、日本なのではないかと思える。外国とつながりがあるが、日本生まれ育ちである。このような子供は、前に述べたように日本国籍を持っていない子供とほぼ同数であるようだから、教育方針に配慮しなければならない。しかし、「外国人」の例として思い浮かばない。

最後に、極端な例であろうが、帰化した韓国・朝鮮人系の特別永住者だった人と日本人が結婚して、子供を産めば、その子供は日本国籍しか持たないし、親も二人とも日本出身で、日本生まれ育ちで、日本国籍である。それでも、その子も川崎市の指針の上で「外国人市民」の範囲に入る。朝鮮とのつながりは強いからだ。

会議で話題になったことは、このような例は忘れやすくなる呼び方だった。しかし、より適切な呼び方は難しい。「外国と深い関係を持っている市民」と言ったら、帰国子女も入るので、それは今の趣旨と違う。(よく考えたら、帰国子女を入れたら良いのではないかと思える。アイデンティティの問題や日本の社会との馴染みには同じような問題があるからだ。それはともかく、今の時点でそういうつもりはないようだ。)その問題はなくても、呼び方として長すぎる。会議でも言ったが、「人種」などの区別する方法は明らかに不適切である。そのような問題ではない。

会議での結論は、場合によって文言の工夫をして、重要な事例が忘れられないように努力することに一致した。学校教育の場合、「外国とつながりがある子」とか「外国人の親を持つ子」とか「日本の滞在歴が浅い子」などの言い方は場合によって適切だろう。川崎市の指針の場合、呼び方をこういう風に工夫して、「外国人」は均一性を持っている範疇ではないことを念頭に置いてもらったほうが良いのではないかと思う。一方、一般にどのような呼び方はいいかは、問題だ。また考えさせていただきたいと思う。