『神社のいろは 要語集 祭祀編』

この本は神社検定の公式テキスト7で、先日行われた今年の壱級の試験の公式テキストだった。私は、今回検定を受けなかったが、テキストは興味深いので、買って、読んだ。

祭祀と関係する言葉を62をピックアップして、その解説の記事が載っている。「神社」から始まり、「おみくじ」で終わるが、途中で神籬や拍手などの重要な言葉が紹介される。壱級のテキストなので、入門書ではない。そのため、神道についての知識は全くない人には勧められない。背景の知識はないと、記事はわかりづらいと思う。しかし、その基礎知識があれば、この本でもう少し奥へ踏み込めると思う。知識をより深くしたい人には、おすすめだ。

項目ごとにある祭祀の一部の歴史をたどって、変遷を説明する。神籬の起源は不明であることとか、神饌の時代との変更などは紹介される。しかし、私にとって、一点は印象的だった。

明治維新では、神道の伝統の大半は破壊された。例えば、新鮮は、明治維新まで調理された食べ物は基本だったが、明治維新で生物に変えられた。出雲大社の新嘗会の形は強制的に一変された。重要な祓詞は廃止された。伊勢の神宮でも祭祀は根本的に修正された。祭祀を行う人まで入れ替えることになった。仏教と関わる要素は取り除かれたのは周知の通りだが、「純粋」の神道の祭祀はそれほど塗り替えられたのは、私もわからなかった。

さらに、この本は神社本庁の監修のもとでまとめられた。神社本庁の基本態度は、明治維新の神道は変化は改善で復古だったという解釈だから、神社本庁が監修する本からこのような印象を受けるなら、事実はさらに厳しいのではないか。イギリスにも同じような現象がある。16世紀には、教会からの彫像や絵画は取り除かれたが、失った文化財は今でも惜しむ人はいる。(その人のほとんどは歴史家であるのは言うまでもないだろう。500年前のことは、一般の人は知りもしない。)

神道の場合に戻ったら、お参りの作法さえ明治維新の後で定められた作法であれば、伝統を現在の社会に合わせるために調整する行為に抗議する根拠はない。神道の歴史は、そのような変更ばかりであるからだ。

そして、もう一つ感じたことは、古社の祭祀は豊かであることだった。明治維新を生き残った祭祀はまだまだあるし、伊勢の神宮の祭祀はもちろん素晴らしいが、出雲大社の祭祀を優れないだろう。実は、出雲大社の新嘗会についての記事で、その毎年行われる祭祀は、出雲国造(宮司)の代替わりで行われる「お火継ぎ」の祭祀と基本的に同じだ。場所は違うし、規模も違うが、内容は基本的に共通する。これは、宮中祭祀の新嘗祭と大嘗祭の関係と全く同じだ。そして、出雲国造の歴史は、皇室の歴史と同じぐらい長い。神話上でもそうだ。(皇室は天照大御神の長男の末裔で、出雲国造は天照大御神の次男の末裔だが、神話でその御子神は同時に生まれた。)つまり、現在の神社本庁が神宮を格別にすることは、根拠はあるのだろうと思わざるを得ない。

やはり、私は神社本庁の傘下で神職になれないよね。

とにかく、この本は興味深くて、手軽な値段でないような濃い。神道に強い興味を持つ方に、お勧めする。


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