政治芝居

先日、安全保障法案は特別委員会で可決され、衆議院の本会議に送られた。テレビでその採決を見たが、野党の議員は委員長の席を囲んで、プラカードを掲げて、叫んでいた。

一体、なぜそうしたのだろう。

法案への反対を表現するためだったと思うしかないだろう。それでも、なぜその形を選んだかは、よく分からない。まずは、可決の支障にはならなかった。委員長は「まぁ、それほど反対すれば、もう少し考えようね」と言うはずはない。この方針は総理大臣によって決められたので、委員長が逆らうはずはない。委員長にはこの職権はあるので、法律的に考えれば、止まらせるべきでもない。

民主主義では、過半数を占める政党には、少数派を抑えて無理やり法案を可決させる権利は与えられている。そうしないと、少数派には万能の拒否権を与えることと等しい。それこそは民主主義の違反である。だから、今の自民党の行為は、法律的にも民主主義的にも問題にはならない。そう考えれば、それほどの大げさな反対は不要だろう。

では、議員もそれほど法律の民主主義の基本が分かるとしよう。それでもそうすれば、やはり自分の存在感をアピールするためにしただろう。これは重要だ。自分の選挙区の有権者に、自分の活動をアピールできなければ、再選は難しくなる。国会で働いている証拠は極めて重要である。そして、自分の立場を強調するためにも効果的な措置だろう。有権者は「へぇぇ、それほど反対しているのか。やはり、この法案はダメであると思っているね。」と思ってほしいだろう。

つまり、この行為の対象は、委員会の委員長ではない。委員長には効果はないことはよく分かるし、委員長にはそうする権利も義務もあることも分かっていると言えよう。

私は、性格的にそのようなことはしないだろう。反対をはっきりして、冷静に抗議するのは私好み。しかし、人の性格はそれぞれだから、このように反対を表す人もいるね。

そして、本会議で可決されただろう。(まだ確認していない。)野党が欠席しただろう。これも、反対をはっきり表すために適切な行為だと思われる。与党には、野党の反対を乗り切って可決させる権利があるが、野党にはこのように協力せずに反対を表す権利も持っている。もちろん、お互いに「強引な運営」や「無責任な態度」で批判し合うが、それも政治芝居である。有権者に自分をアピールしている。

今回、結局野党の勝ちになる可能性は高いと私は思う。憲法学者はこぞって「憲法違反」だと断言したので、法律が成立されても、最高裁判所で憲法違反と見なされ、無効とされる可能性はやはり高い。そうなれば、野党は「最初からこう言っただろう?この憲法違反な法案と関わることも拒否しただろう?憲法に違反した与党の政治家を追い出すべきだ」と強調するに違いない。ただし、最高裁判所まで辿り着くために、結構の時間は必要だから、次の選挙には役に立たないだろう。(もしかして、最高裁判所で審議される前に憲法改正は目指されているだろうか。)


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