東芝問題

最近、東芝の不正会計処理が報道でよく取り上げられている。第三者委員会は、会社内の風土でそのような不正が行われるような環境が整えられたと断定して、その上経営陣もかかわったと報告した。その結果、歴代の社長が辞任した。これは確かに大きな問題だ。大手会社が嘘の会計発表をしたら、社会への影響は懸念しなければならない。その責任者を厳しく処分しなければならないだろう。

しかし、再発防止策としてどうすれば良いのか。

社員の立場から考えて見よう。今年度の売り上げなどは良くないとすれば、どう報告すれば良いのか。もちろん、完全に嘘をつくことはできない。倫理を考えなくても、すぐにばれてしまうので、効果はない。しかし、見込まれる利益を今年度に計上して、費用を一部が利用される来年度に先送りすれば、見せ方がかなり良くなるだろう。そうしないと、クビになるだろうし、少なくとも出世にはならないだろう。そうしないと、大きな被害を被るにちがいない。しかし、しても、ホントウノフセイではないだろうと思うのは自然だろう。発覚されないだろうし。本当に見込まれている利益だし、この経費も本当に来年度のためのものでもある。

この問題をかいけつするために、どうすれば良いのだろうか。会計の基準を全く曖昧ではないことにする方針が思い浮かぶだろうが、それは違法だ。法律で、少なくとも個人経営の場合、経費は当たる年度に計算しなければならないし、収入もその仕事の年度に計算しなければならない。曖昧ではお金をもらう日とお金を出す日は関係ない。もちろん、会計基準を抜本的に見直すのは可能だが、日本だけの問題ではないので、そういうことにならないだろう。

それはなかったら、会社の中の風土を変えなければならない。ある意味、結果主義を無くさなければならない。社員の出世や大愚が会計上の結果に左右されたら、会計を良く見せる工夫を取るのは自然である。無意識にすることもある。データを客観的に分析しようとしても、自分の都合のいい解釈を取る傾向は人間にあるし、それは心理学の実験でよく裏付けられている。第三者が後で見れば、「これは工夫だろう」というけれども、本人にはその意識な全くない場合もある。

会計の結果の代わりに、社員の努力などを評価したり、そして報告書の忠実性を評価したり、改善に向けたアイデアなどの評価したりすれば、会計を工夫する必要はなくなる。その代わりに、正しく状況を見せることや、改善する計画に努力を注入する。もちろん、ある部門は利益を上げていない場合、部門を閉鎖しなければならない場合もあるが、その場合閉鎖する部門で働く社員を移転させるべきだ。解雇は不可避であれば、会社全体からの劣ってる社員を解雇するべきだ。そのような方針を定着すれば、自分の部門の会計上の利益は悪化しても、会計上の直しには意味はない。

このような方針の問題はすぐに思い浮かぶだろう。損益を測るのは簡単だが、社員の貢献を測るのは難しい。それはそうだが、大きな問題を解決することは、簡単ではない場合は多いのではないか。


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