今日をもちまして、広島の原爆投下から70年になっている。犠牲者の冥福を祈る集いは多いだろう。
しかし、欧米ではこのようなことは疑問詞されている。原爆で、日本はまるで自分は被害者かのように演じている、と。この考え方は、日本は戦争を自分の力を拡大するために戦争を引き起こしたので、原爆は正当な罰に過ぎなかったという感覚である。私は、そう思えない。
もちろん、広島の子供達が大きな問題になる。子供達には、戦争責任はあるとは到底言えない。同じ国籍を持っている人が犯罪を与えているから子供に死刑を科しても良いとしたら、子供を殺す言い訳はいつでもある。子供が所属する国が戦犯を犯したからといって子供を殺しても良いとしたら、ほぼ変わらない。少なくとも子供を一般に殺してはいけないので、論理が通じない。
ただし、一般市民も同じような立場である。戦争に参加することは決めていない人は多かった。国家の戦争政策を応援した人であるとしても、それは良くないことであるとしても、死刑に至るほどではないだろう。これほど市民を殺すのは、正当な罰だと言えるだろう。確かに、日本が敗戦は避けられない状態になったら直ちに降伏したら、原爆の投下はなかっただろう。東京の大空襲を教訓として降伏したら、原爆はなかっただろう。しかし、アメリカの行動は日本の責任にするのは良くない。南京事件は中国の責任ではないが、同じく南京の政府が直ちに降伏したら事件が起こらなかっただろう。
実は、南京事件も光をあてるだろう。南京事件の死者は、8週間程度で40,000人から300,000人だったと思われる。広島と長崎を合わせたら、その真ん中の130,000人の死者が数えられる。東京の大空襲を加えたら、230,000人から400,000人の死者になる。南京事件は戦犯であれば、これも戦犯であるのではないか。そう論じる人は少なくない。
アメリカ人は自分の国が戦犯を犯したと信じたくないのは当たり前だ。日本人もイギリス人も同じだ。日本の場合、南京事件の事実を否定する人はいるが、原爆の場合、そうできない。二つの都市は破壊されたことは明らかだ。だから、事実を否もうとするアメリカ人は一人もいない。むしろ、正当化しようとする人は多い。(イギリスは、両方する。ドレスデンの空襲を正当化する人もいるし、大英帝国の戦犯の否む人もいる。)正当化できなければ、戦犯を認めるしかないので、必死である。
当時の国際法では、都市を破壊するのは戦犯ではなかったと思われているようだから、厳密に「戦犯」とは言えないとしても、正当化をやめてもらいたいのだ。正当化すれば、将来にも数万人の子供を殺すべき状況が現れると思ってしまうからだ。事実を否むほうがましだ。その場合、「そうしたら、それは許せない罪であるが、しなかった」という態度は、将来の罪と繋がりにくいだろう。しかし、正当化は、危ない態度だと思う。
そして、もう一つの側面がある。人間は、片方は完璧で善であると考えて、他方は完全に悪しであると考える傾向は強い。そのように考えれば、日本が戦争を引き起こしたら、日本は明らかに悪いので、善は一切ないと思ってしまう。同じように、アメリカは日本と対立しているので、悪は一切ないと思いがちだ。このように書けば、誤りであることはもう明らかだろう。事実はそれほど完結ではないことは、認めるべきだ。
だから、広島と長崎の原爆投下は法律に違反していなかったとしても、倫理に違反した。死者は被害者で犠牲者だった。この側面で、日本は被害者だった。これほど残虐な行為を正当化しようとする行動は、避けるべきである。