原爆の教訓

今日で、原爆が人にたいして使われてから70年になる。長い間使われなかったことは確かに喜ばしいが、それだけで十分な教訓になっているとは言い難い。

まず、核兵器の廃絶を実現するのは重要である。もちろん、簡単な問題ではないが、核兵器が存在すれば広島や長崎の悲惨が繰り返される恐れが消えない。この目的に向けて世界のすべての国が真摯に交渉しているのは信じがたいと言えるが、少なくとも建前として核兵器廃絶を掲げる。しかし、これも十分ではないと私は思う。

6日の広島での式典についてのNHKラジオニュースで被爆者のコメントが放送されたが、それは「戦争で、人殺しが正義になる」ということだった。これ自体は問題だと思わざるを得ない。原爆はこの顕著な例に過ぎない。一気に一つの爆弾で数万人を殺すのは許しがたい行為だが、一人を殺すことも、被害者にとって同じ悲劇である。人殺しを正義と思う理念を廃絶するべきだと思う。

確かに、その理想的な方法は、戦争をなくすことだ。戦争はなければ、人を殺すことは少なくするし、文化の破壊も少なくなる。だから、戦争が勃発しないように努めるのはとても重要であるし、国家の政治家の第一の責務であると言えるだろう。戦争が勃発すれば、国民を守る責務にもう失敗したからだ。

しかし、残念ながら、片方で尽力しても戦争を完全に防ぐことはできない。相手が武力を使って自分の意思を強調しようとすることは少なくない。例えば、第二次世界大戦では、ドイツが隣国を侵略した。それは外交や交渉で戦争を避けようとした国は多くあったにもかかわらず、戦争になった。このような可能性にも配慮しなければならないが、もう一つの問題がある。ある国が脆弱に見えたら、隣国が武力を行使して、領土や貿易の権利を奪おうとすることもある。ヒトラーのような独裁者の場合、戦争を回避する方法はないと言えるだろうが、他の場合、相手の侵略などにたいして守備する実力があるのは明らかであれば、戦争が勃発しないことも多い。抑止力は幻想ではない。

つまり、国家には自衛力を持たなければならない。だから日本でさえ自衛隊がある。

それでも、人殺しを避けるのは望ましい。

だから、自衛隊が相手を殺さないように工夫したら良い。

もちろん、現行の銃や爆弾を使えば、相手は殺される。一般市民も殺される。それは、「慎重に使用する」という態度で改善できるわけはない。つまり、すぐに実現することではない。ただし、目指す状態として良いと思う。

人を殺さずに維持的に動けなくさせる方法はもう存在する。その進歩に努めれば、侵略する軍隊に対する使えるようになるだろう。今は適切ではないが、人を殺す武器より人を殺さない武器に研究開発の努力を注げば、実現できるのではないか。

その場合、憲法には新しい一条を加えることはできる。

国家は、人を死を図ってはいけない。


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