無人神社

神社界の問題の一つは活動していない神社である。特にその神社は法人格を持っていれば、法律上解散になるはずだが、活動していない理由は普段氏子はいないし、宮司もいないか、兼務社は50箇所を超えるので、この神社の状況をよく把握していないからだ。そのため、解散の手続きを行う人もいないことになってしまうようで、神社の鎮座地も詳しくわからなくなるケースもある。

少子高齢化や都会への人口密集によって、このような傾向が続く見込みだ。社会の傾向が変わる場合もあるが、楽観的に「そうなるだろう」と思って何もしないのは無責任だから、対策を考えなければならない。

神社の場合、他の施設の場合と重要な相違点があると思う。多くの施設は、住民のために存在する。例えば、小学校は子供の教育のために存在するので、子供はいなくなったら、小学校を閉校するのは当たり前である。それは残念なことであるのは否めないが、児童はいない学校には意味は全くない。仏教のお寺も基本的に同じ感覚であるような印象だが、宗教施設としてちょっと違う可能性もある。しかし、神社は違う。基本的に、神社は神様を祀るために存在する。人はいなくても、神様が鎮座する限り、神社の存続には意味がある。

確かに、人は完全にいなくなれば、神社の維持が困難になってしまう。解決策は必要である。今の状況は良くないのは、神社界の誰でも認めるが、解決策への動きはちょっと遅いような印象だ。

基本的に対応策を二つに大別できる。

一つは、神様を別な神社へ遷座することだ。そうすると、活動は安定である神社に鎮座する。これにも大別すれば二つの選択肢がある。一つは本殿に合祀することだ。その場合、遷座先の神社の御祭神が増える。戦前の神社閉鎖政策によって、このようなことは多かった。合祀しても、座を別とするので、将来的に元の位置に戻すことはできる。(一つの座に合祀すれば、分祀はできなくなると思われる。)もう一つの選択肢は、遷座先の神社の境内に新しく末社を建立して、末社に遷座することだ。費用は高くなるが、神社の歴史をある意味維持出来る方法なのではないか。

もう一つは、そのまま鎮座させて、祭祀の維持に工夫をすることだ。毎日の祭祀は無理になるかもしれないが、(氏子もいないからだ)月次祭のような毎月の祭を行うことはできるだろう。そうするために、神職も不足しているので、氏子や崇敬社の有志を起用することになるだろう。その場合、神職にならないが神社の祭祀の責任を持つ資格は必要となる。少なくとも経費を賄う制度も必要である。祭祀を行うのは有志であるとしても、同じ人には労働の負担も経済的な負担も課すのは平等ではない。だから、このような問題を解決する制度についてちょっと詳しく考えたいと思うが、考えてから現実的であるかどうかを判断する。


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