安倍総理大臣の終戦70年談話

昨日、安倍総理大臣の終戦70年談話が発表された。もちろん、国際的な騒ぎを起こした。それは、誰でも予想できただろう。

私は、日本語も英語も読んだが、評価できる。談話で次の点は明記されている。

  • 日本が戦争を起こした。それは大きな間違いだった。
  • 日本がアジア諸国へ大きな被害をもとらした。無罪の市民が多く苦しんだり、亡くなったりした。
  • 歴代内閣が謝罪をしたし、その謝罪を安倍内閣が受け継ぐ。
  • 将来に、この歴史を忘れずに平和を維持しなければならない。

戦争の反省として、これは基本だ。

新しく謝罪していないことは批判されているが、私は批判しない。理由は簡単である。安倍総理も、内閣大臣のほとんども、終戦の後で生まれたからだ。唯一の例外、麻生副総理は、終戦の日には4歳だった。今の安倍内閣は、個人として戦争の責任を一切持たない。まだ生まれていなかったとしたら、それは明らかだろう。だから、自分の立場から謝罪するのは適切ではない。日本がイギリスの大英帝国の罪を謝罪すると同じだ。しかし、歴代内閣の謝罪を受け継ぐのは適切である。ある程度責任があった人は謝罪した。(当時の首相や幹部ではなかったので、どれほど責任を背負ったことは曖昧だ。)その謝罪を認めて、立場を継承することは適切である。そして、歴史を否定せずに向き合うことも重要である。

他の批判する方法もある。一つは、安倍総理は真摯に謝っていないという批判だ。本当にそう思わないという主張である。その根拠は何であるかは、私は分からない。特に過去について、証拠は真摯であることを証明すると思う。例えば、ちょっと前に従軍慰安婦の謝罪などを撤去するかどうかを検討したことは報道されたが、検討してから撤去しなかった。つまり、今回首相になった時点で、村山談話などを修正するべきなのではないかと思ったようだ。そのような発言と動きがあった。ただし、検討の結果、修正しないことにした。むしろ、そのまま継承することを明言した。この経緯の自然な解釈は、安倍総理が事実を検討したら、謝罪は適切であることを理解したということだ。

もう一つは、安倍総理が戦争へ日本を導きたいという批判だ。安倍首相はそれは否定するし、安全保障関連法案にも侵略などの戦争と繋がらないような措置は盛り込まれている。もしかして、将来の内閣の態度について楽観的であると言えるだろうが、安倍首相は戦争を希望するという証拠はないと思う。

そして、ちょっと驚いた良い点もあった。日本の戦後の国際社会への復帰は、周りの国の寛容のおかげであることを述べて、感謝を述べていることだ。この意味は大きいと思う。まずは、国際社会の一員になることは国家の権利として捉えることもできるが、この談話で安倍首相が先の大戦の日本の罪は重いことを認めて、被害者に許してもらったことに感謝を表した。これは重要だと思う。

つまり、この談話は良くできたと思う。


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