挨拶

最近、近所で人間関係が薄くなりつつあることを嘆く文章も、子供が挨拶しないことを嘆く文章お読んだが、考えさせられた。挨拶を推進したほうが良いのではないかと思う。

挨拶というのは、実は会釈でも入っている意味でとっている。長くすれば、「今日は」ぐらいのレベルを考えている。笑顔でできれば良いとも思うが、笑顔を強制するのは良くない。本人には深い悩みや悲しみがあるかもしれないので、挨拶に笑顔で答えてくれなくても、かまわないだろう。

挨拶は深い人間関係を築かないのは言うまでもないだろう。ただ挨拶を交わすだけで、友達などにはならない。しかし、顔見知りにちゃんとなる。それだけで、基盤のとなることもある。例えば、数ヶ月にわたり挨拶を交わした人と一緒にバスを待つことになったら、挨拶はもちろん、「今日は暑いね」とかいうことは少なくない。この程度になったら、共通の趣味などが偶然明らかになったら、会話はできる状態はもう整っている。同じように、災害が発生する場合、避難所などで会話ができる基盤はもう持っているので、生活がちょっと楽になる。

大人同士の挨拶はこのようなことだけれども、推進するのは簡単である。自分から挨拶することだ。相手は応えることは多いが、必ずしも応えるとは限らない。答えはない場合、それはそれで次回も試しても良かろう。ただし、ずっと無視されたら、挨拶をやめたほうが良いと思う。なぜなら、相手の気持ちが悪くなる恐れがあるからだ。

一方、子供からも挨拶を積極的にしてもらったほうが良いとも思う。「知らない人は危ないので、挨拶しないでください」という風潮があるが、それは根本的に間違っていると思う。

子供を侵す人はまず非常に少ない。ほとんどの犯罪者でも、子供に被害を与えないそうだ。子供を狙う人は確かに存在するが、子供に声をかけたりしないと狙えないので、危ない人から挨拶がかけられると思える。つまり、子供から発生した挨拶の相手は、危なくはないとほぼ確信できる。

もちろん、親以外の人とどこかへ行ってはいけないことを教えなければならない。それは知っている人でも同じだ。「親が許可を与えた」と言われても、行くべきではない。もちろん、例外になる場合もあるが、それはいつもの人と一緒にいつもの場所へ行くことなどに限る。しかし、挨拶だけではない、相手はいかに悪質であっても、被害はない。

むしろ、子供の盾にもなれると思う。なぜなら、近所の人は多くこの子供を覚えて、ある程度の近親感を覚える。そのため、怪しい状態を目かけたら、声をかけることはできる。つまり、ほとんどの人はいい人だから、挨拶を交わして自分の守る人を増やすこともできる。完璧ではないのは確かだが、問題を完全に未発防止できないので、たくさんの手法を利用して、確率をなるべく抑える。そして、問題はなくても、近所の人との絆が結ばれ、大人と同じようなメリットもある。

小学校でまだ挨拶を促進することは多いので、それに賛成する。私も、意識してすれ違う人と挨拶を交わすことにしたいと思う。


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