神の祭りの内容

神のための祭りを考え始めたのは、もう十分前のことになっているが、ここで祭りの内容についてちょっと考えたいのだ。

祭りの前の修祓はもちろんのことだ。祓えずに祭りを行ってはいけない。考えるべきは、奉納と祝詞だろう。

奉納するものは、神様をもてなすためのものにするべきだ。それは普通の神饌とそれほど変わらないが、好物なの伝統があれば、このような祭りで供えるべきだろう。神楽などを奉納して神様を楽しませることも良かろう。そして、祝詞で・・・

この点で、考え直す必要を感じる。この考えの前提に立ち戻ろう。

前提は、まず、神様は本当にいること。そして、神様はどの存在であっても、神社で行われたことを感覚して、把握する。その祭祀によって、神様の気分が変更する。例えば、祈願祭であれば、依頼を叶えるような気持ちにさせると思われるだろう。その上、神様は神社に常住しているとも思える。古代の神道ではそうではなかったが、平安時代以降このような概念になっているようだ。では、詳細はいかがだろうか。神社の祭祀の歴史を見れば、食事の提供は歓迎されるようだし、衣類の奉納も、神楽の奉納も良いようだ。柳田氏などによって指摘されてきたが、祭りは来客をもてなすような形を持っている。

実際にこうであるかどうかは、別な問題としよう。前にはその問題についても触れたが、神様は存在しなかったら神道の概念を大きく変えるべきだろう。まずは本殿を禁足地とする必要はなくなる。むしろ、特別な祭りの時には氏子崇敬者は本殿に入らない限り、本殿がある意味はない。神様はいないからである。だから、とりあえず神様がいる前提で考える。

では、その前提で考えれば、毎日の祭りはどうすれば良かろうか。食事を供えるのは当たり前だ。神楽を毎日奉納するのは、ほとんどの神社にとっては事実上無理だから、省く。

それで、祝詞のことが残る。しかし、毎日の祝詞の内容をどうすれば良いかは、簡単な想像ではない。毎日同じことを奏上すれば、神様は飽きてしまうのではないか。一方、毎日のための新しい祝詞であれば、神社の負担がまた重くなる。負担の問題は解決されたとしても(神職は数人いるか、創造力は強い神職がいるか)、内容はまだまだ問題だ。依頼はもちろんだめだ。この祭りは神様のためであるので、依頼してはいけない。では、報告は良かろうか。それは一つの可能性になるだろう。毎日、その周辺の出来事を報告する。(報告祭は神社祭祀の一部であるし、境内での建造物が竣工された報告祭さえあるので、神様は周りのことに気づかない前提があるようだ。考えれば、それはちょっと不思議だ。「ところで、神様、新しい本殿ができた。」「本当?気づかなかったなぁ。」)

もう一つの候補は、神様の意志を尋ねる祝詞だ。つまり、神様はどうしてほしいのかを確認する祭りにする。

そして、最後の一つの候補は、感謝祭である。神様のご加護に対する感謝を表す祭りだ。

やはり、人生の目的と同じように、祭りの目的を考えれば問題が難しくなるね。このことについて、もう少し考える。