「巫女とセックス」のマンガ

神道の勉強の一貫として、神道と関わるマンガも読んでいる。専門家ではない人は、神道をどう見るか、どう描くか、興味深い。このブログで数回に亙って紹介したが、巫女の経験がある漫画家もいるし、ある神社と関係を築き、詳しく研究する漫画家もいる。そして、超自然的な話を作るために、神道の神話などを利用する漫画家もいる。その中で、見逃すわけにはいかないジャンルは、「巫女とセックス」である。このマンガも読んできた。

私は、前にも述べたが、性的な行為は悪いとは思わないし、描くことは必ずしも悪いとも思わない。それに、万葉集から古代神道には性的な神事も存在したのは明らかなので、セックスと神道を結びつくこと自体も悪くない。それでも、「巫女とセックス」のマンガの多くは拙い作品と感じる。それはなぜなんだろう。

一つの理由は、エッチなマンガの本質を考えれば明らかになるだろうと思う。本質は、性的な行為を描いて、その性的なこと自体で楽しんでもらうことだ。つまり、マンガの楽しませるところは、性的なことが描かれていることだ。(この本質は、マンガに限らないと思う。写真集にも映画にも見えるが、その影響はあまり変わらないような気がするので、ちょっと多く読んだマンガの事例で論じる。)漫画家には一人前の腕力は必要だが、それがあれば、可愛いキャラの裸を描けば、はい、御仕舞。もちろん、性交の場面も描いても良いが、同じようにそれができたら御仕舞。つまり、本質を果たすマンガを作るために、それほど考えなくても良い。

それに加えて、考えても意味はないだろう。なぜなら、「巫女とセックス」のマンガには、神道の歴史や神話、伝説を深く研究して、それを巧みに取り入れたストーリーを構成して、そして登場人物の正確や発展に力を尽くしても、ほとんどの人は「巫女とセックス」のマンガとしてきっぱり見捨てるからだ。その無駄な努力をするものか。

ところで、問題の前半はセックスと関連する作品に限らない。子供向けの特撮にも見える。そのような番組で、今週の化け物との戦いがある限り、問題はないし、子供は深い話を理解しないし、評価しないので、努力しないような誘導がある。しかし、この場合問題の後半はないので、場合によって頑張って作る人もいる。

エッチマンガでも、一概に怠け者の作成であるとは言えない。(それはひどい言い方だ。ただ裸やエッチを描写するマンガでも、並ならぬ努力は必要だが、それは作品を生み出す最低限の努力だ。)実は、読んだマンガの一つは、『たまふり』というタイトルで、神道の背景をちゃんと取り入れて、話の展開に気をつけて、ネタも考えた。文学の頂点から程遠いといえども、マンガとして少なくとも悪くはないと思った。

一方、もう一つはただセックスを描くためのマンガだった気がした。その上、そのセックスは、巫女たちに強制的にやらされたセックスだった。確かに話の中でそれは良くないことで、巫女が苦しむことも明記されているし、そして最後の会報されたので、このような行動を好適に描写していないと言うだろう。しかし、上述のように、エッチマンガで性的な行為自体を楽しませる内容として載せるので、この場合それは読者が強制的な猥褻行為を楽しむ意向にほかならない。それは問題であると思わざるを得ない。ただし、それは別な問題になるので、後日に論じたいと思う。