政治的な嘘

政治家が嘘をついているかどうかを判明するために、口が動いているかどうか見ろとは、イギリスの諺のようになっている。これは政治家には失礼だが、嘘をつく傾向はあると思われる。それはなぜだろうか。

まず、悪意で嘘をつく場合を排除したいのだ。もちろん、政治家のうち、不正なことをする人もいる。何の職業も同じだが、政治家の不正が明かされたら、広く報道される。頻度は他の職業より高いかどうか、わからない。しかし、職業の内容で嘘をつくことはあるのではないかと思う。

嘘が必要となることは判明されている場合があるからだ。

例として、戦時のことを考えよう。政治家の発表を聞くのは、国民だけではなく、敵国でもある。だから、敵国に勝つために、国民にも嘘をつかなければならない場合もあるだろう。軍団はどこへ行くかとか、戦の状態などのことはその範疇に入る。もちろん、嘘をつくことに至らなくても、隠蔽する事実は戦時に多い。

しかし、戦時の場合には限らないと思える。例えば、事実は広く知られたら、国民がパニックして、問題を悪化させて、解決を不可能とすることはある。それは、本当のことを言ったら、国民が自分の利益を誤解して、自分にとって不利な行動をすることが予想できる場合である。問題を解決するための時間を稼ぐために、嘘をついたり隠蔽したりする。

さらに難しい場合もある。それは、事実が知られたら、国民が自分の利益を冷静に守る。しかし、個人がそのようなことをすれば、一般的にさらに深刻になる状態も少なくない。例えば、銀行の資金が足りなくなったら、自分の利益を守るために、貯金を引き出さなければならない。それは合理的な行動だ。しかし、皆がそうすれば、銀行が破綻して、多くの人は大きな損を負う。一方、状態を隠蔽して、密かに回復すれば、誰も損を負わない。

だから、政治家の嘘を簡単に一概に悪いとは言えない。少なくとも、嘘をつく理由がある場合もあるのではないかと思える。

一方、すぐに許すべきではない。嘘をついたら、人の自由の一部を奪うからだ。事実がわからない人は、その事実を鑑みて行動を決めることはできなくなるからだ。小さな嘘は小さな自由の侵害に過ぎないが、大きな嘘は大きな侵害である。だから、嘘をつかない理由も常にある。だから、双方の理由を考察して、適切な行動を決めなければならない。場合によって、事実を言うことは、嘘より人の自由を奪うこともあるので、その場合嘘をつくべきであるとも言えると言いたいのである。

ただし、その判断は難しいし、自己防衛の嘘を重視する傾向も自然である。これも難しい問題である。

日本舞踊とバレエ

真由喜は、日本舞踊もバレエも習っている。当然、私が日本舞踊を推薦したし、ゆり子はバレエを推薦した。2年間以上の経験に基づいて、比べたいと思う。

まず、日本舞踊の月謝は確かに高い。しかし、それは6回のマンツーマンの30分のレッスンの授業料になる。バレエは安いが、週1回の団体でのレッスンの授業料である。同じように、発表会の費用は、日本舞踊のほうが高い。(月謝と同じく、2倍程度である。)しかし、バレエの発表会で真由喜が団体の一員として5分ぐらい踊るが、日本舞踊の発表会でソロで合計10分程度踊る。つまり、日本舞踊の費用はバレエの2倍になるが、真由喜の経験も2倍になると言える。(その上、バレエの発表会は撮影禁止だが、日本舞踊の場合、撮影しても良いと言われたので、自分のビデオも撮れた。)

(ところで、日本舞踊を藤間流の藤間恵都子先生に習っている。教室によって、費用が異なると言われている。特に、発表会の費用が10万円を超える場合もあると聞いたことがある。)

つまり、経済的には均衡にあると言えよう。日本舞踊のほうが高いが、その費用に応える内容もある。

では、内容はどうだろう。両方は踊りだし、舞台の上の踊りだから、踊りには話がある。共通点は実は少なくない。

しかし、相違点も明らかだ。日本舞踊とバレエの絵を見せられたら、見間違いすることはないだろう。これで、好みの話になる。

私は、日本舞踊のほうが好きだ。バレエは、細くて柔軟ではないと無理だし、若くない人はうまくできない。排他的な踊りとも言える。一方、日本舞踊は、体の形をあまり気にしない。着物を着るので、体はほとんど隠れているし、年を取っても踊れる踊りである。でも、この相違点を越えれば、また共通点は多い。両方は、体の繊細な動きと優雅な身振りを魅力とする。だから、習い事として、上品な動き方を教える。集中力と音楽の感覚を習うことも共通だ。そして、衣装は大きく異なるとはいえ、子供が特別な印象を与えることは共通である。(日本舞踊を習う男子は、バレエを習う男子より少ない。私が真由喜をお稽古に連れて行ったら、部屋の中の唯一の男性になる。)

もう一つの相違点は、バレエを習う女の子は多いが、日本舞踊を習う子は少ないことだろう。ちょっと珍しい技を持つことも良かろう。

私は、日本舞踊のほうが好きなのは分かっただろうが、それは日本の伝統文化の一部であるからだろう。西洋文化に憧れる方は、バレエのほうが良いのではないか。真由喜はまだ興味を持っている限り、両方を習わせたいと思う。

秋田県

旅行の最後の日は、前日降りた列車にまた乗ることになったので、早起きは不要だった。私が朝風呂をして、また露天風呂に入れたが、真由喜はやりたくなかった。朝ご飯はビュフェで美味しかったし、出発する前に部屋でゆっくりできた。ただし、真由喜がアイカツゲームをやりすぎて、電池切れになりそうだった。そのため、列車に乗ったら、遊べなかった。

だから、景色を見たり、私と話したり、見た映画の面白いシーンを再現したりした。楽しい時間だった。

秋田市を見下ろしている真由喜列車は途中で進行方向を変えたので、私たちの車両が一番前の車両になった。車両の前には展望があったので、真由喜に「行っても良い」と言ったら、積極的に見に行った。その場で、別な家族の息子さんと出会って、すぐに仲良くになった。一緒に遊んだり、写真を撮り合ったりした。秋田駅に着いたら、私たちは秋田市での観光の余裕を持ったし、他の家族も余裕があったので、駅でまた合流することにした。その前に、私と真由喜はうどんを食べに行った。レストランの建物も面白かったし、うどんも美味しかったし、真由喜の大好きなかき氷のデザートもあったので、大満足だった。それから、千秋公園に足を伸ばして、秋田城跡の丘を登って、秋田市の眺めを楽しめた。

駅に戻ったら、リゾートしらかみからの家族とまた会って、真由喜と息子さんが楽しそうに遊んだ。そのような偶然の出会いは本当に良いことだし、旅行の楽しみの一つだ。

帰りは秋田新幹線で、長い道のりだった。真由喜が寝たが、私の膝枕だったので、足が痛くなり始めたら起こした。起こされたのでちょっと不機嫌だったが、東京に到着する前に直った。帰宅は10時半だったが、翌日も祝日だったので、真由喜は大丈夫だった。

今回の旅は本当に良かった。真由喜もご機嫌だったし、たくさんの体験などを楽しめた。そして、ゲーム機の役割も大きかった。やはり、計画ができるように、待ち時間を入れなければならないが、子供がその間退屈にならないように、ゲーム機は最適。イヤホンも持ったが、場合によって真由喜が消音して遊んだ。もちろん、ゲームばかりするのは良くない。それは、うちでもできるからだ。しかし、旅行先の楽しい機会があれば、真由喜が楽しいことをした。ゲームは、その間の時間潰しに利用した。これからも持って行くだろう。

そして、ゆり子は静かな家で楽しめたそうだ。それも旅の重要な役割の一つである。

次回の旅の予定をもう考えている。楽しみ!