感情と判断

これは、日本も同じだろう。欧米では、夫婦関係などは、感情や愛情に基づくことを理想とする。冷静に状態を見つめて、長期的に付き合うことを判断するのは、よくない。冷たいし、人間的ではないと考えられる。ある人が「特に強い感情はないが、私の性格と人生の計画も、あなたの性格と人生の計画も考察すれば、一緒に住んで生活を送ると、二人とも幸せになる可能性は高いし、お互いに持ちつ持たれつできるのは明白だ。だから、結婚してくれないか?」と言ったら、断られるのは当然であると思われる。

この背景には、心理学の現象のいわゆる「根本的な帰属の誤り」があるのではないかと思ってきた。根本的な帰属の誤りというのは、自分の行動は周りの状況への必然的な対応として捉えるが、他人の行動は、その人の性格を表すと思うことだ。その上、性格は不変なことだと思って、行動に基づいてその人の全てを判断できると思う。

例えば、電車の中で私が優先席で座ったとしよう。私の行動を中から見たら、その理由は特に疲れていることかつ足に怪我があるので、立つのは痛いことを理由とする。普段、もちろん必要とする人に譲るが、今は私は必要とする人である。一方、他の40歳ぐらいの男性を優先席で座っていることを見たら、その人は自己中心で、適切な行動はわからないと思ってしまうことは多い。

私は、相手の行動は不愉快である場合、わざとその原因となれる臨時的な状況を発想しようとする。例えば、病気であることとか、重要な会議に急いでいることとか、前日に恋人にふられたことなど。そう思ったら、相手の行動は性格や私に対しての思いを反映するのは、必ずしも言えないことを忘れない。もちろん、長期的に同じような行動が続けば、相手について判断できる。しかし、1回に限る行動から何も判断できない。

さて、愛情の問題に戻ろう。愛情は、性格の一部として捉えるのは自然だ。一方、冷静的な判断は状態に応じることだ。性格は不変であるし、行動を決めるのは、根本的な帰属の誤りであるので、自然に愛情は将来の補償になると思われる。しかし、誤りである。性格は不変ではないし、行動をそれほど縛れない。今愛情を感じる人は、本当に深く感じていると認めても、将来はそう続くとは限らない。一方、冷静的な判断であれば、状況の将来的な変化や変動も考察したはずだ。そうしないと、冷静的に考察したとは言えない。つまり、感情の変動も、相手の成長や変遷も踏まえて、決めた。

実は、冷たい判断の方が信頼できる。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: